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寄 稿
労働分配率を上げる

埼玉大学経済学部教授 伊藤 修

 労働分配率は変えられる。いまは上げなければならない。――ということを述べる。

 ご承知のように、企業や産業の売上収入から製造原価(原材料費と減価償却費)を差し引いた額が、そこで新たにつくりだした価値、すなわち付加価値である。付加価値は、人件費、地代家賃、利子支払、そして利潤に分かれる。さらに利潤は、株主配当、経営者報酬、内部留保利潤、税金支払に分けられる。付加価値のうち人件費として労働者に支払われる割合が労働分配率、他方が資本分配率と呼ばれる。この労働分配率は、労使の論争で昔から焦点であったし、今もそうである。

 かつてインフレの時代には、当時の日経連は「生産性基準原理」を主張して賃上げに反対した。《労働分配率を一定とする》と、賃上げは、そのコスト増を吸収できる生産性の上昇を上回れば、物価を上昇させ、結局賃上げを無にしてしまうだけだ――と。

 これは《労働分配率を一定とする》なら当たり前である。しかし、労働分配率を高めるなら、つまり資本の取り分を少し譲歩しさえすれば、物価は上がらない。経営側はいつもこの点をごまかしてきた。

 ごまかしといえば、近年もそうである。物価下落、デフレ不況から脱却することが喫緊の課題だといわれた。もし本当に「生産性基準原理」が成り立つなら、生産性を上回る賃上げをすれば、物価は上がり、デフレから脱却できるはずではないか。それなのに日本経団連は口をつぐんでごまかし、生産性は上げる、賃金は下げる、労働分配率は下げるという、逆のことをやってきた。この一貫性の無さは恥ずべきで、今後何をいっても説得力ゼロだが、いまは徹底的に突くべきである。

 実際の労働分配率は、2000年代に入って75%から70%に下がっている。日本だけでなく世界各国で下がっている。

 日本経団連は08年度『経営労働政策委員会報告』で、@日本の労働分配率は国際的にも歴史的にも高い、A内部留保利潤を削れば企業の競争力を保つための投資を妨げるし、配当を減らせば投資家に嫌われて株価が下がってしまう、だから資本の取り分は一切減らせないと強弁している。だがこれに根拠はない。

 まず@で、日本の労働分配率が高いというのは事実に反する。先進各国とも21世紀に入ってから下がり、なぜだか現在70%水準に揃っている。日本はかつて他より一段低かったが、バブル崩壊後の不況期に大きく上がり、そこから落ちてきている(不況期に上がるのは人件費の上昇でなく売上・付加価値が減るためである)。歴史的に、つまり昔より高いというが、長期的にはどの国でも資本装備率(労働者1人当たりの設備)は上がり利潤率は下がるなど、トレンド的な経済の体質変化はあるもので、一定値にとどまらねばならない根拠はない。

 Aは自己中心の主張にすぎず、また一般論でしかない。具体的にいま起きているのは、長期の景気上昇にもかかわらず続く労働分配率の低下であり、それによって家計の所得、消費支出が萎縮し、内需が不振だという深刻な事態なのである。

 以上みてきたように、労働分配率はこれまで実際に変化してきた。もちろん今日も変えることができる。これが最重要ポイントである。

 実はいま世界中で、カネ余りになるほど資本側が取りすぎており、「企業部門が資金余剰」(借りるのでなく運用する)という異例の状態にある。この余剰資金はいったんアメリカに集まり、儲けるのがうまい投資ファンドや米多国籍企業の海外投資となって世界中に再輸出されている。このファンド=米経由資本が各国企業の大株主となって支配力をもち、株主利益の立場で過酷な要求を突きつけて、労働者の条件を悪化させているのである。同時に歴史的な賃金抑制で物価も抑えられ、それゆえ金利も低い。低金利とカネ余りのもとで投機が盛行し、それがファンドの膨張を支える、という一連の構造になっている。

 こうしてバブルの発生と崩壊が次々に起こる(サブプライム問題はその一環)とともに、株主利益が労働者を抑えつけているのである。

 そうはいっても国際競争が厳しいおりから賃上げは難しい、という声が聞こえてきそうだ。ここにも競争力、為替レートというものについての誤解、無理解がある。

 仮に大幅賃下げで人件費が中国より低くなったとしよう。原価が安いので、巨大な貿易黒字が出て、輸出代金の外貨が大量に入ってくる。過剰な外貨は為替市場で売りに出され(=円が買われ)、外貨安=円高が進む。円高は、この30年経験したように、日本製品の国際価格の割安が解消されるまで進む。円高を阻止しようとすれば、政府は外貨買い=円売りの介入をするほかなく、大量の円が出回って、バブルかインフレ、または両方が発生する(これは1970年代前半の日本で起き、現在中国で起きていることである)から、長くは続かない。つまり変動相場制では、《コスト抑制の効果を無にしてしまう》ように為替レートが動く。「競争力」を気にして賃上げを自粛するのは間違いなのである。

 以上から、賃上げをし、非正規労働者の待遇を抜本的に引き上げて、労働側の取り分をふやさなければならない。取れるところがしっかり取り、それを全体に波及させていかねばならない。誤った理屈に負けてこの任務を放棄する組合指導者は、日本をはじめ世界の労働者の利益を損なうことになる。



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