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寄 稿
企業の社会的責任(CSR)と労働組合
〜一連の談合事件からの考察〜

基幹労連 中央執行委員長 内藤純朗

 殆ど毎日のようにテレビ・新聞を騒がせていた「談合事件」もここのところ下火になったのか、それとも暫定税率や年金問題で陰に隠れているのか、あまり報道されなくなった。

 しかし、だからと言ってこの問題が根絶されたのかというと疑問に思える。それは国・自治体の発注システムに談合と言う不正が入りやすい状況に変わりはないからである。

 鋼製橋梁・ごみ焼却炉・水門など、お恥ずかしい限りだが、この種の談合事件が報じられるたびにわが基幹労連に関連する企業の名前が出てくる。そのたびに身の縮む思いがするが、さりとて労働組合がこの事件に絡んでいるわけでもなく、むしろ組合員は被害者の一人であるくらいに思い、怒りを禁じえない。

 最初に言い訳がましい話をしておくと、よく「談合により落札価格を不当に引き上げた」と報道されるが、現場で働くものの感覚でいえば、それにより製作予算に余裕が出たとか、会社が大いに儲かったという実感はまったくないのである。

 逆に大型公共工事の受注後に「これまでのコストを大幅削減しなければ赤字になる」と発破をかけられた記憶なら大いにある。

 それは当然と言えば当然である。公共工事は発注金額の上限が決まっており、その金額は合理的な積算基準に基づいて算出される。すなわち「普通に造ればこのくらいはかかる」と言う金額が発注の上限価格なのである。それを入札によって下回らないと受注できない。

 つまり、苦労して落札しても普通に造っていては儲からないのが公共工事である。しかも、安値受注の実績が出来ると次回発注の上限金額は当然引き下げられる。公共工事を行う企業を蜜に群がる蜂のように報道されるが、国や自治体はそれほど甘くはないのである。

 従って、現場の組合員にとっては常に「前回実績のコストを下回らなければならない」という宿命を背負わされるのである。

 そのような立場で働いている組合員は、自分たちの血の滲む努力がコスト競争力となって公共工事が受注出来ていると信じている。それが「実は談合で受注したものだ」「だから儲かるのだ」と言われれば、日ごろの努力を否定されたようで極めて不快になるのは当然である。先に組合員も被害者の一人と言ったのはこうした訳である。

 したがって、労働組合としては組合員が被害を受ける談合事件を憎み糾弾する立場にある。しかしその不正を労働組合が防げるかとなると、少なくとも労働組合のチェック機能によってシステム的に防止することは無理がある。

 もちろん労使間で「談合が不正でありやってはならない」と言う共通認識を持つことは労働組合の責任である。しかし、やはりここは「なぜ談合事件が起きるのか」「なぜ官は随意契約をしたがるのか」などと言う本質論について考え、労働組合として不正を防止するための政策的な提言をしていくことこそ、そうした企業に働く組合員に対する責任ではないかと思うのである。

 冒頭、「国・自治体の発注システムに談合と言う不正が入りやすい」と書いた。また先に述べた談合事件の多くが官製談合、いわゆる官が自ら主導する談合なのである。その理由は大きく分けて、@行政当局の品質管理能力の限界、A競争入札が継続できる複数企業の確保、B官僚雇用システムの欠陥、の3つが挙げられる。以下、考察する。

 まず@の品質管理の問題であるが、一般競争入札ではどんな企業が受注するかわからないのだから、行政当局が高い品質管理能力を持つ必要がある。しかし極めて幅広い公共事業のすべてにそれを求めることは困難である。したがって品質管理能力の高い企業に発注し、自らの不足を補おうとする傾向になる。そのため指名競争入札が行われ、ここに官製談合の入り込む余地が生まれる。また官が随意契約をしたがる理由もここにある。

 しかし、指名競争入札であってもこれが公正に行われれば問題はないはずである。もちろん一般競争入札よりは高めの落札となるであろうが、そこは品質管理分と考えればよい。だが入札に参加する多くの企業は大型公共工事を受注するために大きな設備や多くの労働者を抱えているのであって、何回入札しても落札できなければ撤退するしかなくなる。最終的にはトップ企業の独占となり、指名競争入札は成り立たなくなる。受注に耐える複数企業の確保は公正な指名競争入札の必須条件であるから、ここに発注分散を目的とした官製談合が入り込みやすいのである。これがAの理由である。

 Bの官僚雇用システムとはいわゆる天下り問題である。実は民間に天下りする例は特殊法人などを渡り歩く数に比べれば多くはないのであるが、天下り先確保も官製談合の生まれる土壌である。この天下りの最大の原因は中央省庁に見られるように、事務次官が誕生するとそれ以上の年次のものは全て退官する、という雇用システムにある。これでは個々の官僚にとって次の就職先が必要になるのは当然であり、極端な場合は官製談合を主導することによってそれを求めようとするのである。しかしこれは@・Aと比べて数段低いレベルの理由と言わざるを得ない。

 談合は法律で明確に禁じられている。社会的公正と言う意味からも、まじめに努力している労働者の立場からも憎むべき存在である。しかしなぜこうも繰り返されるのか。それは発注者である官がそれを求め、受注者である企業がそれによって益を受けるからである。発注者からそれを持ちかけられて断れる企業がいかほど居るのであろうか。

 @からBの理由はすべて官に起因するものである。しかもBを除き、高品質の国土建設を長く続けていくためには必要なことでもある。このための手立てを官製談合と言う形でなく、正当な方法で立てなければならないと考える。そうしなければ官製談合は繰り返されるのではないか。

 談合に参加した企業は事業を子会社化したり撤退したりした。社会的な責任として当然の帰結かと思う。しかし批判を恐れずにいえば、企業はこれまで国の建設に貢献してきた事業への誇りや、日夜を分かたぬ努力をしている組合員のことを思うなら、「恐れ入りました」と言うだけでなく、このような背景を考慮したシステム作りも提言すべきではないか。それがこの国の将来を見据えた真の社会的責任ではないかと思う。



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