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視点


なぜ社会人大学院に通うのか?

No227 2008年5月

 日本人は、概してまじめに勉強するというイメージがある。例えば、二宮金次郎。薪を背負いながら、本を読んで歩いている像を見た人は多いだろう。今も学習塾の辺りで、志望校合格のため勉学に励む子どもたちを見かける。では、大人はどうか?経済社会が激変する中、自分のもつ知識やノウハウは陳腐化するおそれがあり、学び直しの必要性は少なくないはずだ。しかし、自己啓発している人の割合は、実は半分にも満たないというデータがある。(財)連合総研「第12回勤労者短観」(2006年11月)によると、過去1年間に自己啓発を実践した人の割合は、4割強に過ぎない。この結果が示唆するように、大人の学習意欲は決して高いとはいえない。

 実際に自己啓発している人からは、「(勉強のために時間を割けるんだから)俺たちヒマだよなあ。」といった自嘲めいた言葉が聞かれる。上記の調査結果をみても、「自己啓発の必要がないからしない」とする人よりも、「自己啓発はしたいが時間がない」とする人の方が多い。しかし仔細にみると、勤務日における1日の時間のうち、睡眠・仕事・通勤・育児・介護・家事のための時間を除いた時間は、平均値で5時間強との結果が得られている。自ら学ぶ時間を確保するためのリソースが、全くないという訳ではないようだ。

 時間がないから自己啓発できないとする人が多くを占める中、睡眠時間を削ってまで学んでいる「少数派」がいる。社会人大学院生は、その典型といえる。彼ら(彼女ら)は、時に薪ならぬ幼子を背負いながら、論文の作成に勤しんでいる。社会人の学生数に占める割合は、修士課程で1割強、博士課程で約3割、専門職学位課程では約4割を占めるに至っている。知識社会の様相が一層深まることに対応して、これから社会人大学院で学ぶ人の数はさらに伸びていくのであろうか?

 一口に社会人といってもいろいろなタイプの院生がいる。起業している人、会社の費用負担で受講している人など様々だが、ここでは会社に勤めながら通う者で、かつ、学費を企業が負担するのではなく、自費で賄う社会人について考えてみよう。こうしたタイプの院生は多数いるが、会社との狭間で悩むこともしばしばあると思われる。

 当然のことながら、在籍する会社が大学院への通学に好意的であるとは限らない。自分のもつエネルギーのすべてを会社に注ぎ込むのが当然、という空気が社内に漂っているなら、社会人大学院で学ぶと、社内での肩身は狭くなろう。組織人である以上、こうした空気の下では黙って通うことが「最善」となるケースも多いはずである。隠れキリシタンさながらに大学院に入学したら、同期生に同じ会社の上役がいた、などという話を聞いたりもする。

 また、修士等の学位を取得したからといって、評価・報酬の上でプラスになるとは限らない。下手をすれば、同僚に迷惑をかけてまでカルチャースクールに通っていると受け取られ、マイナスになるおそれもなしとはし得ない。今勤めている会社を辞めて、学者やコンサルタントなどに転身しようと思っても、博士取得者の多くが行き場を失っている中にあっては、現実的な選択肢とは言い難いかもしれない。

 では、なぜわざわざ会社と大学院の二束の草鞋を履くのか?筆者の限られた社会人大学院生体験を基にして述べれば、名状し難いパッションが院生の原動力となっているようにみえる。社会人大学院に通うことは、(状況によっては)組織の中を生き抜いていく上で必ずしも「合理的」ではない。しかし、仕事の内容やプロセスを自分なりに良くしていきたいといった、漠とはしているが熱い思いを持ちながら、着眼のヒントや新たな価値観を得るべく、暗中模索している人たちがいる。彼ら(彼女ら)にとって、大学院に通う目的や本音を明確に説明することは、少々難しいかもしれない。極論めくが、社会人大学院で学んだことが何に実を結ぶかは、学んでみないとわからない面がある。

 学んだ経験が、会社にも院生にも良いインパクトを与え得ることを、筆者は信じてやまない。しかし残念ながら、こうした一見「合理的」にみえない篤学の社会人が、今後目立って増加するとは思えない。大人の学習意欲が熟していない現況では、尚更だろう。

 組織と自分の志向との間で適切な折り合いをつけながら、社会人が心底学びたいと思えるようになるために、企業がなすべきことは山積している。管理職層・個々の従業員の意識改革や、評価・報酬のあり方に関する検討、さらには、お互い助け合えるようにするために情報を共有したり、個々の従業員の仕事の幅を拡大したりすることなどは、その一例といえる。ただし、当然のことながら企業のみが改革すれば全て解決する訳ではなく、社会人を受け入れる大学院の側の取組みも、大きな意義を有している。例えば、学位を取得した後、自分なりに納得した形でキャリアを紡いでいる人の事例を紹介することは、キャリアに惑う人たちの「海図なき航海」に、針路の示唆を与えるだろう。大人の選択に任せるだけではなく、自らの学びを促すための仕掛けをつくることが、広く求められる。
(五角形)


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