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理事長コラム
『時代を見つめる』
古賀 伸明

「ネバーギブアップ」

File.712021年11月 8日発行

2010年5月、今から11年前に広島弁で「古賀会長、改めて名刺を一枚ください。もう歳だからここに来るのもこれで最後だと思う。お守りにしたいので」と、言葉をかけられたことを、ご冥福をお祈りしながら思い出している。

それは、広島に投下された原爆で火傷を負って生死をさまよい、生涯にわたり核兵器廃絶を訴え、去る10月24日、96歳で死去した日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員の坪井直さんの言葉だ。

2010年は5年に一度の核不拡散(NPT)再検討会議が米国・ニューヨークの国連本部で開催されており、原水禁、核禁会議、連合の3団体が約70名の団を編成しニューヨークを訪問、現地で核兵器廃絶に向けた活動を展開していた。その合間を縫って、国連本部ロビーのメインギャラリーで行われていた被団協主催の原爆展を訪問した時のことだ。

坪井さんと初めてお会いしたのは、私が連合事務局長になって翌年06年8月の3団体による「核兵器廃絶2006平和ナガサキ大会」である。それから、何度かお会いしていたが、09年10月に連合会長になってから最初にお会いしたのが、ニューヨークの国連本部だった。

以降、年賀状の交換は、連合会長を退任してからも続いていたが、今年の年賀状には「・・・寄る年波を感じるに至り、本年度限りで年始の賀状でのご挨拶を控えさせて頂くことにいたしました。・・・」と記載されていた。お元気であればいいがと、思っていたところだ。

坪井さんは、戦後、中学教師として教壇に立ち、生徒に被爆体験を語り、核兵器の怖さと平和の大切さを教えた。そして、86年に退職後は被団協のメンバーとして活動し、2000年には代表委員に就任。

癌の手術を含め10回以上の入退院を繰り返した身でありながら、その生涯を核兵器廃絶と被爆者援護、そして被爆体験を伝える活動に精力をそそいだ。

それは国内のみならず海外にまで及んだ。97年核戦争の危機が高まっていたインドでの被爆証言をはじめ、核兵器保有国の米国やフランスなど海外で被爆体験を語ったのは20回以上という。被爆地、広島の象徴的な存在として、運動の先頭に立ち続けた。

2016年5月、原爆を投下した米国の現職大統領として初めて広島を訪問したオバマ大統領と対面し、握手を交わし思いを伝える姿は記憶に新しい。

坪井さんの粘り強い一貫した姿勢が、核兵器禁止条約の誕生につながった。今年は折しも56の国と地域が批准した、その条約が発効された年である。

しかし、被爆から76年、「核兵器なき世界」はまだ遠い。来年1月にNPT再検討会議、3月には核禁条約の締約国会議が予定されている。唯一の戦争被爆国である日本の真価が問われる。

坪井さんが、よく口にした言葉は「ネバーギブアップ」。

私もお会いして別れる時には、「古賀会長、ネバーギブアップじゃ」と投げかけられた。自らを鼓舞するとともに、きっと私たち後輩へのエールだったのだと思う。

坪井さん、どうぞ安らかにお眠りください。

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