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美しい町並みに向けて


No.152 2001年7月
 欧米諸国に行くと、何度行ってもその街並みの美しさに感心させられる。成田空港に戻ってきて都心に向かう際の雑然とした街並みをみるとがっかりさせられるものである。日本の都市が雑然としていて決して美しくないことは、昔から指摘され続けてきたことであり、今更言及することではないのかもしれないが、改めて少し考えてみたい。
 
 日本の都市が何故美しくないのか、その理由については様々な要因が指摘されている。一つは都市計画がなっていないという見方である。確かにパリやニューヨークは都市計画がしっかりしており、このことが美しさの重要な要因になっていることが想定される。しかし、都市計画だけであれば、旧社会主義圏の諸国の均質で無機質な高層建築の整然とした街並が、パリ程美しいとは思えない。また、西欧の都市でも旧市街は雑然と無秩序に形成されているが、それはそれで趣きがあり美しい街並みとなっている。したがって、都市計画だけでは街並みの美しさを作れないものと思われる。やはり、都市空間を形成する住宅等の一つ一つの建造物が美しいものであることが必要であろう。この点から言えば、確かに日本の建造物はこれまで安普請のものが多かったように思われる。安普請の建造物が多かった理由としては、まず、そもそも日本が先進国になったのが最近で、それまでは貧しかったという事実がある。ストックの蓄積には時間がかかるのであるから、現在の街並みは過去の貧しさを反映している面があるのは事実であろう。さらに、耐久性が低く劣化が進みやすい木造建築が多かったことも原因であろう。これは地震対策という側面もあろうし、夏の湿気対策という意味もあったのであろうが、いずれにせよ外見は「ウサギ小屋」といわれても止むを得ない安普請に見えたのは事実であろう。
 
 しかし、最近は、かなりしっかりした建造物が多くなり、昔のような板張りの木造建築はかなり少数派となっている。それでも、欧米の都市程には街並みが美しくなったというようには実感できない。やはり、まだまだ問題があると思われる。感覚としては、美しい街並みは、美しい建造物が多いことではなくて、醜い建造物や空間が少ないことであると思われる。つまり、幾つかの建造物をどんなに豪華にしても、その周囲に醜い空間が残されていれば、全体として美しいという印象にはなれないのではないかと思われる。したがって、美しい街並みのためには、個々の建造物を立派で豪華にしていくだけではなく、醜い部分を小さくしていくようにする必要があろう。そのためには、例えば、街路、公園等の公共スペースが綺麗な状態に保たれることが必要になるであろう。
 
 こうしてみると、やはり、都市の天空を這いまわる電線が日本の都市を醜くしている大きな要因であることを指摘せざるを得ない。日本の電線の地中化率は、欧米諸国に比較して大きく遅れている。電気事業連合会の調べでは、1997年時点で、ロンドンやパリの電線地中化率は100%、ベルリンで99.2%、ニューヨークで72.1%と、欧米主要国では、殆ど全域で地中化されている。しかし、日本の場合、1998年において、東京都心でも千代田区で34.8%、中央区で15.1%に止まっている。より範囲を広げると、東京23区で3.1%、大阪市で1.4%と非常に低いレベルで、殆ど地中化されていない。これでは、街並みが醜くなっても止むを得ないのではないかと思われる。
 
 もちろん、空を這う電線が街並みを醜くしている元凶の一つであることは昔から指摘され続けてきたことであり、政府としても取組を進め、電線地中化計画が昭和61年から実施されている。平成11年からは5ヵ年で3,000kmの電線地中化を目標とする「新電線地中化計画」が進められている。しかし、実感として電線の地中化が進んでいるとは殆ど感じられない。確かに繁華街の中の大通りはさすがに電線はなくなったが、一歩脇道に入ると直ぐに電線の嵐となる。昭和61年の第1期電線地中化計画以来平成10年度末までに3,400kmの電線地中化が達成されたということであるが、主として大規模商業系地域が対象であり、全体としてそれ程大きく改善されたと感じられない。全国の都市内の道路延長距離を考えれば、3,000km程度はほんの僅かに過ぎないことも実感できない要因であろう。この調子では、美しい街並みがいつ実現できるのか分からない。

 ただし、もちろん、電線地中化に問題がない訳でもない。まず、第一にコストの問題がある。電線を地中に設置する場合には、空中に架線するよりも20倍のコストがかかるといわれており、この経済性の観点を無視できるものではない。このコストは、電力会社や電話事業者、さらに財政支出で賄われているが、最終的には電力料金等あるいは一部は税金として消費者の負担に追加されるので、闇雲に進めるという訳にはもちろん行かない。また、地震との関係にも留意する必要がある。阪神淡路大震災の経験では、電線類が地中にあった方が被害は半分以下に止まったといわれている。しかし、逆に、復旧作業においては、空中架線の方が倍以上早いスピードで進めることができたといわれている。日本のような地震多発国では、この損傷と復旧の兼ね合いを十分に考慮しておく必要があろう。したがって、純粋の住宅地域においては空中架線を残しておくというのも一つの選択になりえるものと思われる。
 
 電線地中化は、今、中途半端な状況に置かれていると思われる。同じように欧米に遅れた水準にあった下水道と比較して考えてみると、下水道は住民の利便性に直接関連するものであり、都市部では欧米の水準に出来るだけ早く追い付くことに広い合意が得られていたものと思われる。一方、電線地中化は、直接的に住民の利便性に結びつくものではない。道路から電線が撤去されて、道路空間が広くなりより安全に通行できるようになるという利便性の向上はあるものの、それ程大きな向上とは感じられないであろう。したがって、街並みの美化という、直接利便性の向上には結びつかないことにどれ程の価値を置くか、あるいはそのためにどれ程のコストを払うべきかという問題になる。突き詰めていえば、文化にどれ程の価値を見出すかということになろう。この点に関していうと、日本人の意識がかなり高いというようには感じられない。逆にいえば、そのことが日本において空中架線がこれまで抵抗なく受け入れられてきた背景となっているのではないかと思われる。現時点においても、街並みの美化に高い価値を置くことにそれ程広い合意は得られていないのではないかと思われる。一般の人の感覚では、日本の街並みは醜く電線は無くなれば良いなあとは感じるものの、日常生活で不便を感じる訳ではなく、電線地中化のために払っても良いと感じるコストの額はそれ程高いものではないのではないかと考えられる。
 
 たしかに、経済水準がまだ低い段階では文化に金をかけることは贅沢かもしれない。また、現在の厳しい財政の状況も念頭に置く必要があるであろう。しかし、日本は既に世界でも最も経済水準の高い国の一つである。その観点からすると、従来よりももう少し文化的な価値を考慮することも可能なのではないかと思われる。もちろん、最終的には国民の意識と価値観に基づいて選択されることになるのだが、街並みも含めもう少し文化の持つ価値に意識を向けていくことも必要なのではないかと思われる。
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