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寄 稿
『アメリカ型市場社会とは何か:日本への示唆』

米国ハーバード大学准教授 マルガリータ・エステベス・アベ

 小泉改革を経て、日本では経済改革の在り方についての議論が再燃している。ドイツやフランスなどのヨーロッパ諸国でも、経済改革は同じように争点となっている。改革の賛否に関わらず、どの国でも経済改革=市場化=アメリカ化ということが議論の前提となっているのが興味深い。


市場・政府・社会:市場社会とは?

 市場原理とは、利潤動機と競争によって社会的な効率を達成することである。利潤動機だけでは市場は機能しない。カルテルやインサイダー取引などを取り締まる見張り役としての政府の役目は不可欠だ。市場促進的な政策も存在する。人的資本の全体的な底上げの為の教育制度の完備、住宅市場の安定化、安価な医療サービスの提供などは、自国の労働者の競争力を強化し、企業の労働コストを低減させる。

 市場と市場社会は同一ではない。市場社会には、市場の原理とはまた別の原理が存在する。経済原理としての競争がそのまま社会の公正の原理とは限らないからだ。例えば、競争に敗れた企業が淘汰されるのと、能力がない労働者が淘汰されるのは話が違う。人間はその生存の為の糧を必要とし、労働市場から淘汰された結果、食うに困り死に至る可能性があるからである。これを「社会的な効率」と考えるか否かは、当該社会が正義と公正をどのように規定しているのかにかかっている。


アメリカ型市場社会への批判

 ヨーロッパでのアメリカ批判の多くは、市場での競争の結果を是認するあまり、蓄財に成功した者に甘く、市場で不利な者に冷たい、というところに向けられている。これは、一所懸命働く労働者よりも株主と経営者を優遇する米企業への反感であり、と同時に貧富の格差に無頓着なアメリカ社会とその政治への反感だ。

 確かに、規制のより弱かったアメリカでは企業の事務能力の効率化を進めるテクノロジーは他国よりも早く取り入れられたし、海外へのアウトソーシングも早かった。技術革新による省力化自体はアメリカだけに限らない。また、海外へのアウトソーシングも金融のグローバル化も、アメリカのせいではなく、コンピューター・ネットワークの普及に負う所が大きい。いずれにせよ、新しい技術とグローバル化は、労働市場での競争を激化させ、希少な付加価値の高い能力のある者への労働対価を上げ、そうでないものへの対価を下げるメカニズムを伴った。

 アメリカでは、他の先進国と比べた場合に労働者層が一層不利になる三つの要因が重なり、社会内の格差のさらなる拡大をもたらした。一つは、アメリカ製造業の市場での失敗が脱産業化のペースを速めたこと。二つ目は、人的資源の底上げを担う公的教育の欠如。三つ目は、勤労者層の為の公的健康保険の不在だ。アメリカ製造業の失敗は、低学歴層むけの安定かつ高質の雇用の急激な減少を意味した。さらに公的教育の失敗は学歴(能力)格差を広げ、より希少な高学歴層の市場価値を高めた。民間健康保険への依存は国内の大企業の人件費を早いピッチで増大させ、アウトソーシングなどへのインセンティブを強めた。

 紙面の関係上、深く論じることはできないが、これら三つの要因は貧富の格差が政治的にどう扱われるかにも大きな影響を与えた。アメリカの経験はグローバル化した市場の必然ではないにも関わらず、他の先進国に現存する社会的公正についての合意を脅かす危険性を孕んでいる。なぜなら、他国の高学歴層(そして高学歴を手中にできる恵まれた社会階層)は、自国の労働市場をグローバルな競争に晒し、公的教育への投資を低めた方が、自分たちの(そしてその子供たちの)の所得が絶対的にも相対的にも上昇することを認識し、それを目的に自国の「アメリカ化」を推進するかも知れないからだ。


日本への意味

 何でも市場化し、利潤動機を社会の公正の原理としているようなアメリカにでさえ、その「市場社会」を支える強固な社会規範という基盤があることは忘れてはならない。アメリカに於いてこの社会的規範は宗教心と非常に密接に関わっている。先進国中でも突出して宗教心の強いのがアメリカ人だ。市場での競争とは別の原理が社会の色々な部分に存在している。宗教心に支えられた強い無償報酬活動(ボランティア)と慈善の精神が、市場と政府の無策を補っている。アメリカで最も裕福なビル・ゲイツとウォレン・バフェットの両氏が自己資産の殆どを慈善活動に捧げているのは決して例外的なことではなく、非常に宗教的な要素の強い「恵まれた自分がこの社会に何を還元できるのか」という問いへの回答なのである。ジョン・ホプキンス大学のレスター・サロモンに依拠した計算だと、フルタイム換算にするとアメリカの無償ボランティア人口はアメリカの労働人口の7%弱に相当する。その巨大な非営利民間セクターに見られるように、アメリカの市場社会は利潤動機だけで成りたっているのではない。

 欧州先進国では、アメリカの非営利の部分は、公的部門が担当している。社会の公正は、T.H.マーシャルが論じた市民の社会権として政治の場で達成され、その福祉国家の基幹となっている。これは宗教的ではない世俗的なしかし強固な規範に支えられている。規範に基づく社会権の存在は、市場化が「政府による市民の社会的尊厳の保護」と共存する形で進む可能性が高い。利潤追求とは異なる規範の強さが「ヨーロッパ的な市場社会」の将来を左右するだろう。

 日本はどうだろうか?社会的規範を巡る政治的な対立がないまま今日にいたった日本では、企業や家族のみが社会的基盤を構成し、「内輪」の人間だけが公正の原理の対象のように見受けられる。家族や企業の福祉機能の低下が避けられない今、新しい公正の原理への社会的合意の形成が急がれる。これを無くしては、恐らく日本はアメリカ以上に住みにくい国になるだろう。



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