「まごころ」と「カネ」のどちらをとるのか
File.132025年3月31日発行
「商品券」が主役に?
少数与党という、長い歴史のなかでも稀有な状況のもとで、修正を織り込んだ年度予算が可決された。後半国会は、いわゆる「政治とカネ」に関わる問題を含めて、いまだ着地点の見えない事柄が注目を浴びていくこととなる。そのもとで「政治とカネ」の問題は、ここにきて「商品券問題」という、当初全く表に出ていなかった話に強烈なスポットライトが当たり、主役の座が移っているかのようである。一寸先は闇という言い方が政治の世界にはあるが、一寸先は強烈な光ということもあるのだ。かくの如く常に予測不可能な「国会」という世界に、人々の将来を決定づける意思決定を委ねざるをえないのが現実だ。私たちはそれも呑み込んで物事を考えていかねばならない。 さて、主役の座を譲ったかに見える「企業団体献金」であるが、さすがにこれは具体的な法改正議論がすでに俎上にあがっている以上、舞台から降りてくださいとはなりえない。足もとでは、「私こそこの役にふさわしい」というアピール合戦が繰り広げられており、開演の時間が迫る中でなかなか配役が確定せずにいる。よもやの公演延期は観客の怒りを増幅させるだけであり、結果のみえないハラハラする局面が引き続く。
手の届くところに出現した新たな「政治とカネ」
筆者が憂慮するのは、そういった動きの陰で、舞台にあがることなく世上を騒がす多くの役者たちである。この役者たちは新しいタイプの役者であって、素人でもできるんですとか、名前は明かさなくていいんですとか、ついこの前までは想定できなかった類型である。
比喩の繰り返しで失礼したが、この新類型の政治とカネの問題は、多くの人々のツールと化しているSNSを基盤としたものであり、極めて身近な問題でもある。SNSで過激な言動・特徴的な言動により注目を集めることで広告収入を稼ぐ、いわゆるアテンションエコノミーが政治の世界に入り込んでいるのである。人々にとって10万円の商品券(の束)は「そんなの見たことねえよ」という怨嗟の対象であるが、それに引き換えこの新類型は、やろうと思えば、切取り・拡散手法で私にもできますよという、極めて身近なレベルの話である。手に届くところに出現した新たな「政治とカネ」の問題である。
怠けたままのSNS対応
主役や脇役はいやがおうにも舞台に上がることとなろうが、この新類型の役者さんたちについてはいったいどうなるのかがよくわからない。役者さんたち自身は既にそれなりのビジネスが成り立っているので別に舞台に上がる必要はない、ほっといてくれということかもしれないが、そのパフォーマンスはあちらこちらのスマホで四六時中拡散されているので、影響は極めて大きい。見えないところで、そこら中でカネが動いているのである。カネの魔力であることないことが拡散されている。そのことで人の心が傷つけられている。あろうことか人の命まで失われている。放置されてはならない問題である。
しかし3月26日に成立した公職選挙法改正に関わる議論では、そのあたりのことは、先送りされている。今回改正の主眼はポスターで、品位を損なう内容の禁止や、営利目的で使用した場合は100万円以下の罰金を科すことなどだが、SNSに関しては、選挙に関する偽情報などが拡散しているような状況に対して施策のあり方を検討し必要な措置を講じる、と付則におかれたにとどまっている。いかにもなまぬるい。
政治家の皆さん、メディアの皆さん、もうちょっと真剣に取り組んでもらえませんかね。今やらないと大変な禍根を将来に引きずることになると思いますよ。
ダブルスタンダードの公職選挙法
日本の公職選挙法は先進国のなかではまれにみるがんじがらめの法律と言われてきた。他国にくらべてあれをやっちゃいけないこれをやっちゃいけないが非常に多いのである。全般にグレーゾーンが多いことも含めて、選挙運動に関わる人々は大変な気を使いながら神経をとがらせて対応してきている。強力な処罰規定も有しており、とりわけカネに関わる問題は厳格なものとして維持されてきた。
ところがどうであろうか。SNSがからむとやりたい放題になっているではないか。アナログの世界ではがんじがらめの一方で、ネット上の選挙活動においてはなんらの規制も適用されていない。
SNSが解禁された2013年当時には想定していなかった事態が起きているのである。動画の広告収入によって収益を上げるアテンションエコノミーなどという手法は全く認知されていなかった。アテンションエコノミーが厄介なのは、政治・選挙が「コンテンツ」として扱われ、それを「稼ぐ材料」にする人が爆発的に増えているということなのである。2013年の法改正時点で想定されていないことが起きているのであるから、カネに関わる問題については公職選挙法の適用の如何を示すことは当然のことであろう。その当然のことがなされないまま、兵庫県知事選の投票行動が歪められ、人の命まで失われるという事態がおきてしまったのである。公職選挙法はもはやダブルスタンダードとなってしまっている。
カネの魔力は爆発的に拡散されていく
そもそも政治の世界でカネについての扱いが厳しいのはなぜか?それはカネに魔力が備わっているからである。残念ながら人はカネの魔力に弱い。人々は魔力に吸い寄せられる。そしてその魔力はときに善悪正邪の分別もマヒさせてしまう。
SNSのアテンションエコノミーはまさにその魔力があるからこそ成り立っているのであり、真の政策能力よりも、面白いこと、目立つこと、とんでもないことを言った人が勝っていく。カネの魔力により選挙も政治もおかしな方向に行ってしまう。
許容される範囲は既に越えてしまっているのが兵庫県知事選を含めた昨今の状況であるが、今後技術が進歩するなかで、その悪影響はこんな程度では済まないであろう。AIを使った動画が、今より低コストで、はるかに簡単に作れるようになれば、このアテンションエコノミーは爆発的に拡大していくであろう。SNSの世界での野放図な政治とカネの問題も爆発的に拡散されていくということだ。デマや中傷も爆発的に拡散されていくということだ。投票行動も、一層、政策そっちのけで歪められていくということだ。
「まごころ」と「カネ」のどちらをとるのか?
これらの論点に対しては「政治的自由をしばるべきではない」とか、「表現の自由をどう考えるのか」という反論があるかもしれない。
忘れてはならない。政治的自由は、カネの魔力を断ち切ることで初めて担保されるべきものなのである。政治家の主張や政策に対する「まごころ」さえあれば、カネなどなくても共鳴する内容を拡散するはずであるし、そうしていけばいいのだ。だからこそ、政治がらみ、選挙がらみの動画拡散は、広告料収入の適用外とすべきなのである。「カネ」を選択するのであれば、政治・選挙をコンテンツにするなということである。
表現の自由に関しては悩ましい問題であることは事実だ。ファクトチェックについては時間がかかるものが避けられない。だからこそ、政治・選挙に関してはカネがリンクする仕組みはご法度にすべきなのだ。デマ・中傷の摘出が投開票日までに間に合わないのだから。
そもそも力を入れるべきこととして、ファクトチェックのしっかりした仕組みをつくるとか、あるいは、SNS事業者への規制をかけるとか、既存メディアの選挙報道の自由度を高めるとか、教育の分野でSNSを含めたメディアリテラシーを高めるとか、課題は多くある。さぼってはならない。しかしそれらの策が効力を持つまでにはどうしてもある程度の時間はかかる。その間に、やるべきこと、やれることを怠ったままでは、事態は悪化の一途をたどるばかりである。
政治家やメディアには、もっと自信をもって、やるべきこと、あるべき姿を提示し、実現してもらいたい。
連合総研 理事長 神津里季生