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前理事長コラム
『時代を見つめる』
古賀 伸明

「花火に込めた思い」

File.542020年6月15日発行

今月1日の午後8時から5分間、全国約200か所で一斉に花火が打ち上げられた。新型コロナウイルスの影響で、全国各地での花火大会が中止となる中、日本煙火協会青年部の有志でつくる「Cheer up!花火プロジェクト」が企画したものだ。

東京の「隅田川花火大会」は、1733年に前年の大飢饉と疫病の犠牲になった人々の慰霊と悪病退散を祈る水神祭を行った際、周辺の料理屋が花火を奉納したのが始まりといわれている。1日の花火も「悪疫退散を祈願し、花火を見上げて全国の人に笑顔になってもらう」との思いという。

花火と聞き思い浮かべるのは、2012年4月末、私が連合会長の時に対談した「映画詩人」や「映像の魔術師」と呼ばれた大林宣彦氏だ。後で触れるが、あえて監督とは記述していない。極めて残念なことに、新型コロナウイルスの感染が拡大し、1都1府5県に緊急事態宣言が発出された数日後の4月10日に82歳の生涯を閉じた。

大林氏は、大学生時代から自主映画作家として活躍し、分業制だった映画界で「監督・脚本・編集」を一人で手がけるいわゆる映画作家の道を拓いた。監督自身、映画監督でなく映画作家と名のり続けた。対談時にいただいた名刺を改めて確認したが、肩書はやはり映画作家であった。

故郷の尾道を舞台にした「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」という尾道三部作は、あまりにも有名である。2016年、肺がんであることを公表したが、翌2017年「花筐」を公開し高い評価を得た。遺作となった「浜辺の映画館」は、当初、大林氏が死去した10日が封切り予定だったが、コロナ禍で延期となっている。

対談時は、大林氏が制作した「この空の花-長岡花火物語」が、新潟で先行上映、5月から東京で上映が始まり全国順次ロードショーになる頃であった。太平洋戦争下の空襲と中越地震、東日本大震災をセミドキュメンタリーで描き、大林氏が初めて全編デジタル撮影で作成した長編映画である。戦争の悲惨さと平和の大切さを、私たちに警告した作品であった。

長岡花火は1945年8月の長岡大空襲の犠牲者への鎮魂として47年から始まり、2004年の中越地震、11年の東日本大震災で被災した人々の悲しみ、復興への願いをも受けとめながら毎年打ち上げられている。

長岡の伝説の花火師・嘉瀬誠次氏の「世界中のすべての爆弾を花火に替えたい。二度と爆弾が落ちてこない平和な世の中であってほしい」という言葉を聞いて、必ず映画にしたいと思ったという。しかし、最後の仕上げに取り掛かっている時に、東日本大震災が発生する。その時から映画ができるまでの経過と思いを、熱く語っていただいた大林氏の姿が鮮明に思い起こされる。

安らかなるご冥福を心よりお祈りする。

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