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前理事長コラム
『時代を見つめる』
古賀 伸明

「ようやくのライブハウス」

File.832022年11月29日発行

緊急事態宣言解除などを掻い潜って、コンサートホールには行っていたが、コロナ禍のためライブハウスに行ったのはまさに3年ぶりだ。

もちろん、訪れたのはジャズの殿堂と言われる「新宿ピットイン」。

1965年12月オープンだから、もうすぐ57年となる。数えきれないほどの多くのジャズミュージシャンを輩出し、今もなおその演奏活動を支えている。

そして、選んだミュージシャンは、山下洋輔さん。
九州の田舎のステージで初めて目にしたのは、もう約50年前になる。その時の衝撃は今も残っている。彼の叩く鍵盤から出るひとつひとつの音、そしてトリオでの演奏は新鮮そのものだった。

音楽のスタイルは時と共に変化するが、JAZZの醍醐味は私たちがアドリブと呼ぶインプロビゼーション(即興演奏)と、アフタービートの引きずるようなスイング感だ。

約50年前に見た山下洋輔さんは、自由で独創性にあふれた演奏スタイルで、それを完全に超えていた。ソロでもユニットでもビッグバンドでも全く変わらない山下音楽だ。

その数年前、学生運動が盛んだった1969年7月、「伝説の乱入ライブ」と語り継がれる演奏がある。バリケードで封鎖された早稲田大学の大隈講堂から、封鎖していたセクト(党派)とは別のセクトがピアノを運び出し、敵対するセクトの学生が拠点とする「4号館」へ。

ゲバ棒にヘルメット姿、セクトの対立に巻き込まれて身に危険が及ぶことも覚悟しながら、当時27歳の山下さん、サクソフォンの中村誠一さん、ドラムの森山威男さんの3人が演奏を始めた。

仕掛け人は、当時テレビ局のディレクターだったジャーナリストの田原総一郎さん。演奏は混乱なく終わったが、対抗するセクトの学生たちが共にフリージャズに聞き入る様子は、ドキュメンタリー番組「バリケードの中のジャズ」の映像から張り詰めた空気感として伝わってくる。

余談だが、ピアノを担いだ中には、46歳の若さで急逝した戦後生まれでは初の芥川賞作家の中上健次さん(1946年~92年)もいたという。

半世紀を超え旧4号館があった傍に昨年10月、早稲田大学OBの村上春樹さんの資料などを収蔵する「国際文学館(村上春樹ライブラリー)」が開館した。それを機に、その歴史的な演奏が、村上さんの提案で「再乱入ライブ」として、当時と同じメンバーで、去る7月12日同大大隈記念講堂で実現した。

極めて残念であるが、他の外せぬ公務のため会場には行けなかった。当時と変わらぬ気迫に満ちた演奏で観客を魅了したという。どうかDVDが作成されるのを祈る気持ちで期待している。

12月2日の連合総研の評議員会・理事会で古希(70歳)を節目に、理事長を退任するので、この理事長コーナー・「時代を見つめる」も、今回のFile.83で終わりとなる。

最後は、我儘ではあるが私の大好きなJAZZ、そして山下洋輔さんのほんの一端を記載させていただいた。

今日までありがとうございました。

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