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前理事長コラム
『時代を見つめる』
古賀 伸明

「時代と向き合い戦った」

File.302018年6月29日発行

46年前の1972年(昭和47年)は、札幌冬季オリンピックが開催された年、また、連合赤軍による「あさま山荘事件」が起こった年でもある。その年の6月、当時の佐藤栄作総理が一人テレビカメラに向かって語る、異様な退陣表明記者会見を覚えている方はいらっしゃるだろうか?私ぐらいの齢の人は覚えているだろう。「新聞記者の諸君とは話さないことにしている。僕は国民に直接話したい。新聞になると文字になると真意が異なる。偏向的な新聞は大嫌い。やり直そう」旨の発言をして、そのまま総理室に引き上げてしまった。当時の竹下登・官房長官の説得で会見室に戻り、記者会見を改めてスタートした。反発した記者が「総理の新聞批判は内閣記者会としては、絶対に許せない。テレビと新聞を分けて、新聞は怪しからん、テレビを優先しろということは、我々は絶対に許すことは出来ない」旨抗議したが、「それならば出て行ってください。構わないですよ。やりましょう」と応え、それに対して「じゃあ出ましょうか!出よう出よう!」と呼びかけたのが、毎日新聞の岸井成格氏だというのが通説だ。若干28歳。

その岸井さんが去る5月15日肺腺癌のため73歳で亡くなった。73歳はまだ若い。2007年末に大腸癌を患い一旦お元気なったのだが・・・。毎日新聞の政治部長、論説委員長、主筆などを歴任。NEWS23のアンカー、サンデーモーニングのコメンテーターとして、テレビ画面でも活躍した。わかりやすい解説で、日本の社会と政治に警鐘を鳴らし続けた人だ。

私は日本年金機構設立委員会の委員として、2008年から約1年間一緒に議論したのが、身近な出会いだった。それを機会に様々なご指導をいただいた。特に、2009年民主党が政権に就いて以降は、節々で岸井さんの視点でアドバイスを受けた。最後に話したのはいつのことだろうか。1年半ぐらい前だったか?電話で「大変な世の中になった。古賀ちゃんのいる連合総研の事務所にはまだ行ったことがないので、また近いうちにおじゃまするから」と。結局、実現することはなかった。身近な後輩に最後に言った言葉は「情けない」「・・たるんじゃったな・・みんな」だったという。

6月18日に開催された「お別れの会」に参列した。元気な頃の岸井さんの遺影の前で献花した時、最後に電話で話した時のことを思い出し、目頭が熱くなった。お別れの会で配布された毎日新聞・追悼号外のタイトルは、「時代と向き合い戦った」だ。

岸井さん、改めて心よりご冥福をお祈りし、尽きることなき感謝の真心を捧げるしだいです。本当に長い間ご苦労さまでした。そして、ありがとうございました。どうか、 安らかにお眠りください。

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