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前理事長コラム
『時代を見つめる』
古賀 伸明

「トンボ(秋津)」

File.702021年10月13日発行

10月になっても暑い日が続いたが、やっと秋らしくなってきた。
夏から秋への季節の変わり目を感じさせてくれるもののひとつに「赤トンボ」がある。

トンボといえば秋を思い起こすし、季語としてのトンボも秋である。しかし、日本では4月~11月、春から秋までがトンボが活動する時期であり、そのピークすなわち最も多くの種類のトンボがみられる季節は7月~9月となる。

このトンボ、全世界には約5000種類が生息し、日本では204種類が確認されているという。

西洋ではトンボは「ドラゴンフライ」といって不吉なものとされているが、日本では古くはトンボを秋津(あきつ)と呼び親しんできた。

日本書紀には山頂から国見をした神武天皇が「あきつの臀呫(となめ)の如くあるかな」(トンボの交尾のようだ)と述べ、それから日本を「秋津島」と呼ぶようになったと伝えている。また、古事記には雄略天皇の腕にたかったアブを食い殺したトンボのエピソードがあり、やはり倭の国を秋津島と呼んだとしている。さらには、秋津島(あきつしま)という言葉は、日本に係る枕詞として和歌の世界にも脈々と生き続けている。

トンボは前にしか進めず退かないところから「不退転」の精神を表すものとして、日本では昔から「勝ち虫(かちむし)」とも呼ばれていた。退却せず前進しかしない姿は縁起が良いとされ、戦国武将たちが甲冑や陣羽織、印籠などのデザインに用いた。

徳川四天王の一人である本田忠勝は「トンボ切り」と呼ばれる長さ約6ⅿにおよぶ長槍を愛用した。その名の由来はトンボが穂先に止まった途端に真っ二つに切れてしまったという逸話にちなんだそうだ。

私も子どもの頃、トンボ取りをしたり、竹を削った玩具の竹トンボで遊んだりもした。いずれにしても、日本ほどトンボに対するイメージが豊富かつ良好な所はないといわれる。

そのトンボをモチーフとした器などの作風で知られているのが岡崎裕子氏だ。彼女は神奈川県横須賀市に陶房を構え、2009年陶芸家としてデビューした。

トンボのモチーフについて、彼女はある雑誌でこう述べている。
「ガレやドームといったアールヌーボーのガラス作品に対する憧れがあり、陶器でも3Dの装飾をしてみたいと思ったのが始まりです。修行していた茨城県の笠間市で飛んでいたハグロトンボの美しさが印象的で衝撃を受け、修業時代の気持ちを忘れないようにとの思いも込めて取り入れました」

私が連合会長を退任する時、岡崎氏のデビュー前から親交の深い「ある人」から、彼女の作品であるトンボが描かれた器をいただいた。「トンボは真っすぐ前にしか飛ばない。退任しても変わらずに真っすぐに進んで欲しい」との言葉とともに。

トンボの器が食卓に並ぶ時、この言葉を思い出す。

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