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前理事長コラム
『時代を見つめる』
古賀 伸明

「喪失と再生」

File.772022年5月18日発行

ロシアがウクライナに軍事侵攻して約1か月後の3月28日(日本時間)、米国映画界最高の栄誉である第94回アカデミー賞にて、濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」が国際長編映画賞を受賞した。

国際長編映画賞は2019年までは外国語映画賞と呼ばれ、日本映画では09年「おくりびと」(滝口洋二監督)以来13年ぶりだ。また、ノミネートは作品賞、監督賞、脚色賞も含め4部門であり、過去にアカデミー賞で4部門にノミネートされた日本作品は1986年の「乱」(黒沢明監督)のみである。しかも、作品賞、脚色賞へのノミネートは日本作品初の快挙だ。

「ドライブ・マイ・カー」は、村上春樹氏の短編小説が原作である。突然妻を亡くした舞台演出家で俳優の主人公が、ある事情から愛車・赤いサーブ900の運転を任せた寡黙な専属運転手となった女性たちとの対話を重ね、妻の死と自身の悲しみに向き合い再生の姿を描いた。

しかも、西島秀俊演ずる舞台演出家だけでなく、三浦透子演ずる専属ドライバーの二人の喪失と再生の物語である。お互いに異なる喪失だが、喪失した者の苦しみや悲しさを共有することによっての再生の過程を、人の心の微妙な動き、複雑な人間心理で描かれ、人間の本質に迫っていく映画だと感じた。

華やかな娯楽作品が愛される米国での高評価は異例ともいえ、約3時間の上映時間の長さも不利なはずだ。しかし、世界中がコロナ禍による喪失感と焦燥感、ロシアのウクライナ侵攻による不安感につつまれる中、濱口監督が作品に込めた「喪失と再生」のメッセージが人種や言葉の壁を越えて伝わったのだろう。

濱口監督も「何かが失われた状況から人生を組み立て直す。村上春樹さんの原作小説の物語の普遍性を映画でより強く表現したいと思っていた。新型コロナウイルス禍で多くの人生が失われる空気の中で、特別な共感を呼んだのではないか」と分析している。

また、この映画はロシアの劇作家チェーホフの戯曲「ワーニャ伯父さん」を劇中劇として導入している。主人公は多国籍の俳優を起用し、手話を含む多言語の舞台として演出。濱口監督自身が行っている、出演者が感情を入れずにセリフを何度も何度も繰り返し、セリフが自動的に出てくるまで体にしみ込ませるという手法も興味深い。

監督は「本番で初めて役者がセリフを自由に感情を込めてしゃべると、役者同志で感情が入った声を始めて聞くことになる。その時に何か驚きや発見があるのではないか。それを期待している」と話す。

「本当に他人を見たいと望むなら、自分自身を深くまっすぐ見つめるしかないんです」、映画にも引用された村上春樹氏の小説の言葉に胸をつかれた。

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