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良好な関係を結ぶための距離

浦野 高宏2019年6月11日発行

 以前、同じ音楽の趣味を持つ2組の夫婦が、一軒の家で共同生活を始めたことがある。レストランを共同で経営し、そこでお客さんに自分達の演奏を聴いてもらったり、またプロを招いてのコンサートをしたり。同じ夢を持つもの同士で、楽しく働き、楽しく暮らすことができるはずと考えたようだ。

 それを聞いたとき私は、これはまずいことをはじめたものだ、仲たがいをすることにならなければいいが、と考えた。

 数年後、私の心配は現実になり、2組の夫婦の関係は悪化し共同生活は破綻。一方の夫婦はその家を出て、現在ではまったく交流はないという。

 もしこの2組の夫婦が、一軒の家で共同生活をしていなければ、良好な関係はもっと長続きした可能性がある。人間とはそういうもので、適度な距離があってこそ相手を理解し思いやる余裕ができるし、そうした余裕があってこそ良好な関係が築けるからだ。

 私自身の話で恐縮だが、父親と一緒に仕事をしていた時期があるのだが、その頃はかなり仲が悪かった(というか極めて険悪)。仕事でも生活でも始終顔を合わせていたことで、お互いの立ち居振る舞いがちょっとした弾みで不快になり、それが積み重なって憎悪に変わっていったのだ。しかし、私が別の仕事に就き実家から遠くはなれ、会う機会が減ったとたんに関係は良好なものに変わって行った。自分や相手について冷静に考え、理解する余裕が生まれたのだろう。人間同士が良好な関係を結ぶ上での「距離」というものの大切さを、自分はこのとき実感した。

 さて、現在日本では外国人労働者が増加しつつあり、これからも増えていくことが予想される。日本とは異なるさまざまな文化や生活習慣を持った人たちが、まわりに増えてくる。そうしたとき「多文化共生」をめざすべきだという人がいる。その考え方は立派だと思うし、まったくの間違いだというつもりもない。

 ただ、やはり「距離感」は大切だ。

 一軒の家で暮らしてしまったからこそ関係が悪化した友人たち、一緒に仕事をしていたからこそ憎しみあうことになった親子がいる。同じ趣味でともに歩んできた夫婦同士、実の親子同士でもそういうことが起きる。ましてや、言語も文化も生活習慣も違うもの同士である。闇雲に一緒に暮らせば仲良くなれるというものではない。逆に、それぞれの家に住み、適度な距離でのお付き合いをしてこそ、良好な関係が維持できる場合も多い。

 外国人労働者や外国人住民との関係の持ち方について「それぞれの家に住む」「適度な距離でのお付き合い」ということが、具体的にどういう状況をさすのかはここでは書かないが、状況によりさまざまなことが考えられると思う。

 大事なことは良好な関係を保ち育てることだ。一軒の家に住むことがそれにとってマイナスであれば、良好な関係を優先する暮らし方をすべきだ。冷たいと感じる人もいるかもしれないが、人間というものの特性や弱さを考えるとき、考慮しておくべきことだろう。

 ちなみに、妻と私は家では別々の部屋で過ごす時間が多く、おかげで円満な日々を送っている。四六時中一緒にいた日には、わたしは疾うの昔に頭から食われていたことだろう。

 

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