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「見て・聞いて・感じる」はなぜ必要か

豊田 進2020年1月31日発行

 連合総研で仕事を始めて約半年になろうとしているが、それまでは単組の役員を15年ほど務めさせていただいた。その間の組合員に対する教育活動での一コマ。

 労働組合の活動の一つとして、「平和運動」の取り組みがある。組合役員として組合員に現地(沖縄・広島・長崎など)で学ぶ内容とその意義を懸命に伝えるものの、毎回、ごく少数ではあるが若年組合員から、「なぜ、現地に行く必要があるのか?各地にサテライト会場を設けて、中継すればもっと効果的だ」との発言を聞く。組合費の無駄である、という主張である。

 その際に、よく使ったフレーズが、「実際に『見て・聞いて・感じる』のと、ただ『知る』ことには大きな違いがある。これは、あなたに知ってもらうだけではなく、ほかの人にも伝える運動につなげていくための活動だ」である。それでも、納得を得られたと感じることは少なかった。今回は、過去の自分自身を補強する試みである。

 京都大学防災研究所の矢守教授と神戸学院大学現代社会学部の舩木准教授による共同研究報告「語り部活動における語り手と聞き手との対話的関係――震災語り部グループにおけるアクションリサーチ(2008)」を拝読した。阪神・淡路大震災からおよそ10年が経過したタイミングにおいて、語り部グループが直面した現実的な課題を、ロシアの文芸学者・思想家であるミハイル・バフチンの対話的な発話論の観点から理論的に位置づけ課題の解消に取り組んだアクションリサーチについて報告しているものである。

 本報告から筆者なりに理解した内容について、興味を持った点に絞りまとめると次のようなものであった。まず、語り部グループが直面した課題というのは、発災から10年という歳月が、語り部の「伝えたいこと(経験)」と聞き手の「知りたいこと(将来に向けた防災)」との間にギャップを生じさせ、結果として、伝えることができたという実感を得られない状況にあったというもの。このことに対し、バフチンの発話論の「権威的な言葉」と「内的説得力のある言葉」の概念を用いて、その原因と解決策を示している。前者は、無条件の承認を求めるもので、聞き手自身がその意味を考え自身の言葉として吸収することには必ずしもつながらない。一方、後者は、語り手の言葉に対して、聞き手や他人の言葉との対話的な関係をもち、結果、聞き手自身がその言葉を自身の言葉として理解・吸収するものであるという。別の言い方で、前者で得られるのは、「認知的・表象的理解」で抽象化した産物に過ぎず、後者によって聞き手は初めて本当の理解(「関係的・応答的理解」)に到達するとしている。

 ここでいう権威的というのは、「権威のある人」や「権威的な話し方」を指しているのではなく、語り手と聞き手の関係性において、一方向的であることを意味し、語りのあとの簡単な意見交換や感想文程度では、この「権威的な言葉」の範疇から離れることができないとしている。本報告では、小中学生の子どもたちに防災を教える機会をもつ大学生との対話・交流を通じて、語りの内容を「内的説得力のある言葉」へと転換することを試み、成果を確認している。

 上述の報告は、「語り部」側に立ち位置をおいているが、「聞き手」側、つまり「学ぶ側」に置き換えても、同様のことが言える。本当の学びを意図するならば、現地で語り部や案内をしてくれる方たちと向き合い、自身の言葉として理解できるまで対話を行うことが必要だ。

戦後75年。当時を知る方の減少が、平和を守る運動を継承していく上での、大きな課題と言われている。これも、学ぶ側の姿勢一つで解決できるのかもしれない。戦後生まれの「語り部」の方が現れ、より良い語りをめざし、試行錯誤を繰り返している。学ぶ側がそれを理解し、対話に努めることが、これからの歴史の継承には必要なのだろう。

 冒頭のような組合役員として組合員との対話の機会があれば、フレーズを少し変えてみようと思う。「あなたが『見て・聞いて・感じた』ことを、まず、現地の方としっかりと対話してほしい。そのことが、もっと素晴らしい平和運動につながるから」。

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