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怠惰の中で迎えてしまった憲法記念日の一つのひらめき

後 藤  究2021年5月12日発行

I. はじめに

 お前がいつの日か出会う禍は、お前がおろそかにしたある時間の報いだ----フランス皇帝ナポレオンの言葉である。例年通り、今年の連休も怠惰に過ごした自分自身に呪文のように重くのしかかる言葉だ。

 せっかくの連休なのだから、本を沢山読み漁り、教養を育もう。連休前はこう考えていた。しかし、理想と現実は異なるというのが世の常である。机の上に山積みになった本を尻目に、気が付けばYouTubeのペット動画を貪欲に漁っていた。イヌ、ネコ、インコ、カワウソ、カエル......。愛嬌溢れる動物たちは無慈悲にも勉強時間を奪っていった。

 そうこうするうちに5月3日を迎えた。憲法記念日である。法学専攻者として、さすがにこの日ぐらいは何か勉強らしいことをしなければ......。ペット動画漬けの日々を過ごしてしまったがゆえの良心の呵責から、目の前にある憲法学の専門書を読もうとする。しかし、中々エンジンがかからない。過去に学んだはずなのに、本の中身が全く頭に入らない----頭の中をYouTubeでみた動物たちが占領しているからだろう。結局諦めて、今日も今日とてペット動画を見ようかと思ったとき、不意にあることを思い出し、ドイツ憲法の本を手に取った。

II. ドイツ憲法(ボン基本法)20a条における動物保護規定

 筆者が思い出したのは、ドイツの憲法(ボン基本法)20a条の次のような規定である:

「国は、次の世代に対する責任を果たすためにも、憲法的秩序の枠内において立法を通じて、また、法律および法の基準に従って執行権および裁判を通じて、自然的生命基盤(natürliche Lebensgrundlagen)および動物を保護する

 「動物」なる概念は日本国憲法には一切登場してこない。ドイツの憲法規範はなぜ、このような動物保護規定を設けているのか。また、この規定はいったいどんな意義を持つのか。ボン基本法1~19条の基本権規定、社会国家原則等の重要な国家原則を定めた20条に続く形でこの20a条が登場することから考えても、やはり重要な意義を持つ規定なのではないか。この規定について小考してみることで、堕落した日々を過ごしてしまった罪悪感が薄れるかもしれない。憲法記念日の「こじつけ」としてそんなことを考えてみたくなった。

 もっとも、一朝一夕の勉強では語ることができないのが憲法の世界である。したがって、未だに分からないことが沢山ある。しかし、この20a条を調べてみる中で分かったこともいくつかある。

 まず、この20a条の動物保護規定は2002年の憲法改正によって導入されたものであり、新しい規定である。それ以前から動物保護を規定する連邦法があったものの、これらの連邦法は上位規範としての憲法上の明文の根拠規定を欠くものであったとされている。そのため、かかる動物保護の要請と憲法が規定する基本権との衝突が問題となる場面において、前者の要請が十分に考慮されないこともあったようである。典型例としては商業目的での大量飼育や屠畜、あるいは学術研究における実験のための動物利用が挙げられる。これらの場面で動物が苦痛を被ることの問題性が多く指摘されていた。

 こうした事情の下で、かねてから動物保護の要請を憲法的に明文で規定することが立法府の課題として認識されていたようであり、例えば、東西ドイツ再統一に際して、憲法調査会がかかる課題について論じたこともあった。しかし、いずれの論議も憲法改正に漕ぎ着けることはできなかった。「人が人たるがゆえに認められた権利」が人権であって、その人権保障を中心的価値の1つとするのが憲法である。よって、動物保護という要請を基本法上規定することは憲法的価値秩序を揺るがしかねない、との考えが根底にはあったのであろう。

 しかし、2002年1月15日の連邦憲法裁判所判決(BverfG,Urteil vom 15.1.2002-1 BvR 1783/99)を契機に事態は急変する。この判決は、大掴みにいえば、行政当局がイスラム系の食肉販売業者に対して、動物保護法の規定に基づき、宗教的理由から例外的に麻酔を用いずに動物の屠畜を行うことに関する許可を与えなかったところ、かかる行政府の対応をこの業者の職業的人格権(ボン基本法2条1項)を侵害するものと評価したものであった(=結果的に、この業者には麻酔を用いずに動物の屠畜を行う許可が与えられた)。これが動物愛護団体による強い批判を生む契機となり、その批判は次第に多くの世論を味方につけたようである。こうした世論の動向は立法府にも影響を与えた。その結果として、ついに出来上がったのが上述した20a条の保護規定というわけである。

 他方で、もう1つ気になるのは、この20a条がいかなる意義を有するのかである。少なくとも確からしいのは、この規定は動物に対して人間同様の「基本権」を保障したものではなく、あくまで、「国家目標規定」として動物保護という目標実現のために国家権力を拘束するものにとどまるという理解である。しかし、それよりも進んで、対峙しうる人間の基本権(学問・研究の自由や職業の自由等)との調整の場面で、動物保護という国家目標が具体的にどういった意味を持つのかについて、憲法学に明るくない筆者が軽率に評価を下すことはできない。

III. 終わりに

 以上が怠惰な筆者によるゴールデンウィーク中の勉強の一幕である。元々、趣味のYouTube動画がきっかけとなり、憲法記念日に「こじつけ」てやったのが今回のこの勉強である。この勉強自体も趣味の域を越えていない。ゆえに、外国の法状況を踏まえて日本法に対して何か積極的な提言をしようとは思わないし、勉強不足の筆者が軽率にそうした提言をすべきでもない。

 ただ敢えて感想めいたことを言うならば、今回の勉強は、憲法規範を含む法秩序において「動物」の存在をどう位置づけるのかを考える良い契機となった。動物に親しみを覚え、ときに家族同様に愛情をもって接する。これはドイツに限ったことではない。多くの日本人も共感を覚えることであろう。そのような意味でのかけがえのない存在としての動物とともに生活を送ることを捉えて、動物を愛する「人」が「幸福追求」するうえでの不可欠な権利と言い表すことはできないのだろうか。またそうした意味で人が幸福を追求する権利を法の解釈・適用の場面で生かせないだろうか。改めてYouTubeで動物たちの動画を見ながら(これもまた、ナポレオンが言うところの「おろそかにした時間」であることを承知しながら)、そんな思いつきを抱く今日この頃である。

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