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「親失いの一人前」親を見送って自分自身の終末期を考える

石黒 生子2021年8月31日発行

 冒頭から私事で恐縮だが、「親失いの一人前」という言葉を、先輩から聞いたのは、父が亡くなった10年前のことである。親を見送って生ずる様々な事象へ対応し、子供がひとり立ちしていくという意味と聞いた。確かに父の死に際しては思いもよらずいろいろな対応や判断を求められた。その後、母もなくなり、この夏三回忌をむかえた。

 父の意思を確認しないままに迎えた終末期を反省し、母の意思を確認したが、「みんなと同じでいい」としか言わない母の性格から無駄だった。みんなと同じがない時代になったのに。結局、両親ともに救急搬送され、延命治療の末、病院で死を迎え、本当にそれでよかったのかという後悔に苛まれた。しかし、「治療しなければすぐに亡くなりますよ」と医師に言われると、親の意思を事前に確認していない以上、治療を止めて自然に亡くなることを決断することはできなかった。

 「良き死は逝く者からの最後の贈りものとなる」とは、上智大学のアルフォンス・デーケン名誉教授の言葉であるが、残されたものはその別れにより新たな価値観を手に入れ、成長することができるという。親を見送り、自分自身も含めてこの超高齢社会における終末期を考えるようになったのは、最後の贈りものかもしれない。私は単身者であり、これから増加していく高齢単独世帯になっていくだろう。ひとりで暮らしていく人生は自分が選んだものであり、老後を迎え、終末期を迎えるにあたって、納得できるようにするためにはそれなりの準備が必要であることが親の死からわかった。不老不死があり得ない以上、人は必ず老いて、必ず死ぬ。自立が難しくなり介護が必要となった時の介護のあり方、死に場所の選択、完治しない場合の延命治療の有無、葬儀など死後の対応など様々なことを選択しておかなければならない。

 終末期について語るには変化していく死生観について考えることも避けて通れないと思う。WHOは健康な状態について「肉体的にも精神的にも社会的にも満たされた状態」としていたが、さらに「スピリチュアル(霊的)」にも満たされた状態であることを追加するか第52回総会(1999年)に検討され、採択には至らなかったが継続検討とされた。死を前にした人々が感じる苦痛・苦しみとして身体的苦痛・精神体苦痛・社会的苦痛に加えスピリチュアルペイン(霊的苦痛)があり、これらを和らげることが安らかな死に繋がると言われている。スピリチュアルペインとは、生きてきた人生の意味をはじめその人の死生観から生ずる悩みや苦痛である。多様化の時代には、死生観も多様化し、個人が納得する終末期も多様になる。

 死の瞬間まで人は生きている。そして人は他の動物と違ってどんなに肉体が衰えても死ぬ瞬間まで精神的に成長し続けることができるという。「人は生きてきたように死んでいく」とも言われる人の生き様は、その人が亡くなる直前の姿にも反映され「よき死」は「よき生」から生まれるとも言われる。多様な価値観があり、様々な生き方が存在する現在では、実に様々な「よき死」、納得する生き様と死に方があるのだろう。

 人はだれでも一人で死んでいくのだが、終末期には様々なサポートが必要となり、さらに死後の手続きなども必要である。ひとは一人で生きられないのと同じく、一人では死ねないのである。多様化の時代には、どのような死生観をもつか、自分自身で最後までどう生きるか、そしてどう死ぬかを選択し、その意志を信頼できる人(機関)に託すということが、今後ますます必要となってくるだろう。すでに介護保険制度、成年後見制度、ACP(人生会議)など様々な制度がつくられ、運用され、見直しもされているが、ますます多様化していく生き方に対し、充分に整っていると言えるのだろうか。

 超高齢社会において、それぞれの人生の最期まで、満ち足りて、それぞれが納得する終末が迎えられる社会にしていきたい。

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