連合総研

連合総研は働く人達のシンクタンクです
JTUC Research Institute For Advancement Of Living Standards

文字サイズ

研究員
の視点

働くことに疑問を持つ研究員が「労働」について考えてみた件

松岡 康司2023年3月24日発行

Don't think! Feel.

 ブルース・リー主演映画「燃えよドラゴン」(1973年公開)で彼が演じた主人公の「Don't think! Feel.(考えるな!感じろ)」というセリフをご存じだろうか。とても有名なセリフで、他の映画などで度々引用され、すでにセリフ自体が独り歩きをしている感がある。さらに言えば、その引用が「考える」ことを否定するような場面で使われることが多く、ひいては感覚にまかせてとにかくやる、というような文脈で使わているこも割とよくみかける。私の好きな言葉なので、このような使用を見るたびに口には出さないがちょっと残念に思っている。

 私個人としての意見ではあるが、「Don't think! Feel.」という言葉は、一定程度勉強や訓練を積んできた人が実践に移す際における最終段階の心持ちを説いた言葉で、「燃えよドラゴン」の劇中でも、そのように使われている。逆に言えば訓練をしっかりやった、また考えぬいたからこそ、そこではじめて何かを感じることのできる感覚が身に着くのだと思う。

「勤労」を疑う

 さて、話を研究者らしい方向へ戻そう。私は「働く」ことに長い間、疑問を持ち続けてきた。なぜ人は働くのか。それはやはり、働いている当人および当人が養っている人たちの生命維持というのが、寒々しい理由ではあるが一番現実的な回答ではないだろうか。もちろん、自己実現や達成感、他者や社会とのつながりなどの理由をあげる人もいるだろう。だが、それは人それぞれの働くモチベーションではあることは大いに認めつつも、その一方で生命維持という役割を「働く」ことから完全に除外できる人はほとんどいないのではなかろうか。

 以上のように「働く」ことの主な理由を生命維持と結論づけたときに、私は「働く」ことに対する感じ方が変わった。まさに考えること(think)でこれまでと違う感覚(feel)を身に着けたといってもいいかもしれない。その感覚について誤解を恐れずに言うなら、「働くことは(絶対的に)素晴らしい」などの「勤労」や「労働礼賛」に対する「疑い」である。

「労働」≒「社畜」

 こられの「疑い」に対する解を探す過程で、人間が自然、または人工的なものに条件づけられた存在であることを前提に、労働を含む人間の活動的生活を分析した学者がいることを知った。ハンナ・アーレント(1906-1975)である。彼女はドイツ出身のアメリカ合衆国の政治哲学者、思想家で、彼女による人間の活動における「労働」の定義には、「人間の肉体の生物学的過程に対応する活動(力)」とあり要は「生きるためにせざるを得ない活動」ということである。

 さらにアーレントは、「労働」(=生きるためにせざるを得ない活動)こそが、人から自由を奪う活動であると定義、主張している。 現代でいうところの「働く」ことはより複雑で、アーレントの主張する「労働」と完全に同じものとみなすことはできないが、SNSなどで自らを「社畜」と称し、会社に盲目的に従い、その不自由さや隷属性を自嘲する者が少なからずいることからも、アーレントが定義する「労働」要素が「働く」ことの中に一定程度存在することは否定しようがない事実である。

不自由の対価としての賃金

 労働契約についても、「自由を売った対価=不自由になった対価」が賃金(に含まれている)と見ることが可能であるし、職務や勤務地の自己選択が難しい雇用システムである「メンバーシップ型雇用」がそれを補完するシステムとも言えなくもない。

 だとすれば、在宅勤務の導入に労使ともに漠然と積極的になれないのも頷ける。一般的な在宅勤務では、業務状況を監視・管理されるという不自由さから労働者は解放される。このとき、賃金の対価である不自由さが、在宅勤務の導入によって一定解消されることになる。

 つまり不自由さがなくなる、または減少することで、賃金を得る・払う理由が解消されてしまうことにつながりかねない。実はこの事実を労使が潜在的に恐れていると考えるのは行き過ぎであろうか。

「メンバーシップ型雇用」における「自律」

 ただ、このような現状と相反する動きが昨今出てきた。それは今流行りのリスキリングの導入に伴って、企業が「『自律的』な学び」「『自律的』なキャリア形成」を唱え始めたのだ。この件における職場課題については弊所機関紙DIO No.38320232月号)寄稿2「リスキリングにおける労組の役割を考える」労働政策研究・研修機構・藤本主任研究員の論文(https://www.rengo-soken.or.jp/dio/dio383-2.pdf)を参考にして頂きたいが、リスキリングとセットで語られる「キャリア自律」とは、労働者自らが歩みたいキャリアを原則自由に選択することであり、先述した「メンバーシップ型雇用」と矛盾した行為を企業が労働者に求めている点が実に興味深い。

 筆者は「メンバーシップ型雇用」およびこれと対で語られる「ジョブ型雇用」について、それぞれにメリット・デメリットがあり、どちらが良いとは現時点言い切れないが、「キャリア自律」については賛成したい。労働者自らが職業キャリアを考えることは、自らの手でより良い人生をデザインすること(「社畜」からの脱却)にもつながるからだ。

 一方で、リスキリングとセット化された「『自律的』な学び」「『自律的』なキャリア形成」が表層的な動き、または流行として終わるのではないかという懸念もある。労使ともに自由への潜在的な恐れがあるからだ。隷属が染みついた人間には、ときとして自由がまぶしすぎることもあるのだ。

関連リンク
機関紙『DIO』No.383(2023年2月号)
寄稿1
政府のリスキリングを中心とした『人への投資』の狙いと課題
山田 久(日本総研副理事長)
https://www.rengo-soken.or.jp/dio/dio383-1.pdf

寄稿3
TUCからみたイギリスの能力開発の状況
藤波 美帆(千葉経済大学准教授)
https://www.rengo-soken.or.jp/dio/dio383-3.pdf

解題
リスキリングを働く者の力に
松岡 康司(連合総研)
https://www.rengo-soken.or.jp/dio/dio383-k.pdf

≪ 前の記事 次の記事 ≫

PAGE
TOP