カネ(賃金)か時間か?~時間は一度失ったら二度と取り返すことはできない~
石黒 生子2024年10月 9日発行
労働組合が賃上げに関する労使交渉で、しばしば出てくるフレーズ「カネ(賃金)か時間(労働時間)か?」
会社の言い分はこうだ。「生産性も上がらず利益も出ていないのに賃上げをすれば会社が経営危機に陥る、労働時間を延長して賃金を確保するか、または賃上げをやめるべきではないか?どちらを選択するのか?」リーマンショックや大規模な災害などの非常事態の時に、しばしはおこなわれた「所定労働時間を延長して、実質的な賃下げに応じろ」という会社側の逆提案である。実際、私も単組の役員をしていた時にも会社側から非公式には何度も打診があった。私はこの逆提案を断固拒否し、当時1875時間という小売業では最短の年間所定労働時間を死守してきた。
その時の会社の言い方は「旦那がウチに早く帰ってくるより、より多くの札束を運んできた方が奥さんも嬉しいに決まっている。オヤジが早くウチに帰っても仕方がないのだ」「亭主元気で留守がいい」を何の疑問もなく主張していた。今の時代では、時代遅れを通り越して噴飯ものだ。しかし、「所定労働時間の延長を認めることは実質的な賃金引き下げで断固、認められない」という私の労働組合としての言い分も賃金を中心にした考え方に外ならず、時間を重視していない。当時は「Time is Money」と中学の英語の教科書にも出てきたけれど、今は「Time is Life(時間は命)」。(余談だが私が産別に派遣された2年後にはいとも簡単に2000時間に延長されてしまった。)
一時金より労働時間を選択した労働組合
まだ私が単組の役員だった頃、阪神淡路大震災で被災し、本社ビルも倒壊し壊滅的な被害を受けた同じ産別の労働組合が、なかなか業績回復しない経営状況の中で、労働時間の延長か、一時金の引き下げか?という交渉になり、状況を鑑みどちらかは受け入れざるをえないという判断の元、この労働組合で出した結論は、一時金の引き下げだった。
執行部内でも多くの反対があり、それを説得した当時の委員長は「カネは今後稼げるかもしれない。しかし、今この時間は、一度失ったら二度と取り返すことはできない」と執行部内の対立を統一し、次に多くの組合員を説得し、一時金の引き下げを受け入れ労働時間の延長はしなかった。私はこの委員長の判断を素晴らしいと今でも尊敬している。私が同じ提案を会社から突き付けられたら、この判断ができたか?そしてその判断をすべての組合員に説得できたか。まったく自信がない。彼は例え話で「三歳の子供の寝顔は今しか見れない、この時この時はかけがえがない時なのだ」と、時間の大切さを強調して全組合員を説得した。
労働組合の時間管理~時間管理と議論を尽くすことは両立する~
私は、会社の一従業員の頃から、この会社は労働時間に対しての感性が鈍すぎる、単位時間当たりの生産性が最も重要で、同じ仕事を半分の時間でできる労働者の方が、優れているという評価をなぜしないのか?だらだらと時間外労働(多くは不払い労働)で出した成果を会社への忠誠心とか高い評価をする会社が愚かに思われて仕方がなかった。
その後、労働組合役員となり単組で「労働時間管理プロジェクト」のリーダーになった時に、このプロジェクト会議の時間管理の徹底からスタートすることにした。まず、会議の開始時刻だけでなく、終了時刻を明記することにした。当時の私の単組では開始時刻は明記されたが、議論を尽くすということから、終了時刻を記載せず、後には予定を入れないことが常識だった。また、当時の産別の会議も終了予定時刻は曖昧な表記であり「昼食後解散予定」など、会議の後には予定を入れないのが不文律としてあった。
しかし、この「労働時間管理プロジェクト」では、議案ひとつひとつにかかる時間も明記し、報告事項も時間制限をして、2回目からは制限時刻を超える報告は打ち切った。今までと違うやり方に、当初は大騒ぎになったが、3回目くらいからは予定時間通りに会議が終了するようになり、遠方から参加している役員の電車の指定も事前に取れるので、メンバーも「慣れればできるものだし、要点を絞った話し方ができるようになった」と言うようになった。これこそ、なにを重要視するかで議論を尽くした時間管理も可能なことなのである。
この会議運営の成功から時間管理を徹底しても議論を尽くすことは、可能だと私は確信するようになった。しかし、相変わらず他の労働組合組織の会議では、「〇分でこの点を中心に報告」と指示すれば可能なのに、何も言わないと弁解ばかり何分でもだらだらしゃべって時間が延長したり、実に生産性が低いのである。ある会議で座長だった私が「報告は方針に対して何ができただけで結構、できなかったか理由を並べ立てて弁解しても、できない事実は変わらない。生産性の高い仕事しましょうよ」とくだらない弁解の連続にイライラして思わず本当のことを言ってしまい、会議は予定通りに終わるようになったが、(いまだに成果の出ない方針を推進する会議であり、言い換えれば本気でやる気のない方針に対するアリバイ的な会議と言える)、弁解ばかりで方針に取り組む気もない構成組織の幹部から睨まれ、その後も疎まれて、今の境遇に至るのではないかと思っている。
だから、現在なら当たり前になりつつあるかもしれない、「カネ(賃金)より時間」「時間はかけがえがない」と労働時間の延長より一時金の引き下げを選択した当時のこの労組の判断が眩しくさえ思われた。
「仕事」と「家庭」が時間を奪い合う~クラウディア・ゴールディン「なぜ男女の賃金に格差があるのか」~
今でも育児や介護に関わるために短時間勤務を選択することは、制度により正社員としての雇用を確保できても人事評価に影響し、ひいては昇格昇進に多大な影響を与えていて、女性の活躍を妨げていることは良く言われる。2023年のノーベル経済学賞を受賞したクラウディア・ゴールディン「なぜ男女の賃金に格差があるのか」の著書の中でも「女性は家族のよりよい幸せのために時間を提供しようとキャリアを置き去りにする」男性は「家族との時間」と「キャリア」の両立ができるのに、女性は家族との時間のために「キャリア」を奪われると述べている。いずれも時間の重要性が根底にある。「仕事」と「家庭」が同じ時間枠を奪い合い、「キャリア」か「家庭」か?という厳しい選択をこれまで女性に迫っていた。使える時間には限りがあり、「仕事」と「ケア」の問題もやはり時間の問題である。すべては「時間の問題」ということが言える。
40年前のドイツでの経験~時間はかけがえのないもの~
まだ大学を卒業したばかりのころ、40年近く前になるが、ドイツに住んでいた友人を何度か訪ねて一緒にドイツを旅したことがあった。彼女から平日に連続して休暇を取ったから旅行にいこうと誘われたのだが、平日の日中に近所のスーパーで彼女の同僚にしばしば会って驚いたことを今でも覚えている。当時のドイツでは時間外労働に対して割増賃金で支払われることは稀であり、代休で対応することが多かった。その仕組みについてドイツ人からは時間はかけかえのないものだから、時間でしか贖えないという話を聞いた。当時は円高でもあり、スーパーで会った友人の同僚から高級なビールを勧められ「これは高いから記念日しか飲めないけど、おいしいから飲んでみろ」と言われたビールを毎日飲んでも大丈夫なくらいの賃金をもらっていた。もう40年近く前から、時間はカネ(賃金)より大切だと私は思っていたことを思い出す。会社や労働組合内ではなかなかこの考え方は認められなかったが。この年齢になると、時間は有限であり、ますますかけがえのない大切なものに思われる。
昨今は賃上げの話ばかりだが、もちろん物価上昇分以上の賃上げは必須であり今年も賃上げのため労働組合は必死で取り組まなければならないことは確かなことだ。ただ、この機会に賃金だけでなく労働時間について見つめ直すことも必要ではないかと思う。働き方改革で労働時間規制により、困難な職場環境に陥っている産業や業種もある。連合総研でも労働時間について調査研究をおこなってきた。今までの日本の常識に囚われず次の時代を見据えた労働時間法制の確立が急がれる。
関連リンク
生活時間の確保(生活主権)を基軸にした労働時間法制改革の模索 -今後の労働時間法制のあり方を考える調査研究委員会報告書-
DIO№399(2024年7月号)「最近の書棚から」 クラウディア・ゴールディン著/鹿田昌美訳『なぜ男女の賃金に格差があるのか~女性の生き方の経済学』