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タイパの時代に『モモ』を読む

麻生 裕子2026年9月 9日発行

 ある休日、地元の書店に立ち寄った。自動ドアが開き、真っ先に目に飛び込んできた本が、M.エンデの『モモ』だった(注1)。日本語翻訳50年を記念した鮮やかなオレンジ色の表紙。懐かしくなって思わず手にとった。

 本書は、灰色の男たちが盗んだ町の人たちの時間を、モモという女の子が取り戻すという物語だ。子どもの頃に読んだ人も多いと思う。児童書ではあっても、社会風刺や教訓がしっかりと込められている。どれほど豊かになってもお金では買えない大切なものがあること、それは心のゆとりや人とのつながりであることを教えてくれる。

 物語の前半で、道路掃除を生業とするベッポじいさんが自分の仕事についてモモに訥々と語りかける言葉がその大切なものを端的に表す。少し長いが、個人的に好きな場面なので引用しておきたい。

「とっても長い道路をうけもつことがあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。」(中略)

「そこでせかせか働きだす。どんどんスピードをあげてゆく。ときどき目をあげて見るんだが、いつ見てものこりの道路はちっともへっていない。だからもっとすごいいきおいで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息がきれて、動けなくなってしまう。道路はまだのこっているのにな。こういうやり方は、いかんのだ。」(中略)

「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな? つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」(中略)

「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。」52-53頁)

 1973年にドイツで最初に出版されてから約50年経ったいまでも、物語は色褪せない。忙しい日常のなかで、タイパという言葉が飛び交う現代だからこそ、メッセージが生きてくる。

 それ以上に強く印象に残ったのは、物語の中盤で、モモが時間の国にたどりつき、時間をつかさどるマイスター・ホラと会話をする場面だ。

「それなら、時間どろぼうが人間から時間をこれいじょうぬすめないようにすることだって、わけもないことでしょう?」

「いや、それはできないのだ。というのはな、人間はじぶんの時間をどうするかは、じぶんできめなくてはならないからだよ。だから時間をぬすまれないように守ることだって、じぶんでやらなくてはいけない。」235-236頁)

 モモの質問に答えるマイスター・ホラの言葉は、時間主権という考え方を想起させる。ドイツで時間主権の議論が登場したのは1970年代半ば、『モモ』の出版とほぼ同時期である。ここでの時間主権とは、一般的には、自分の時間を自律的に使うこと、より限定的にいえば、労働者自身が労働時間の長さや配分を決定することを意味する。

 ドイツには、古くから、時間主権の向上につながる制度の一つとして「労働時間貯蓄口座」がある。それは、残業をした場合にその時間を口座に貯蓄しておき、一定の調整期間内に消化することができるルールである。時間は時間で返す、すなわち残業時間を時間外手当で清算せず、時間で清算するという考え方にもとづいている。

 また近年では、労働者の希望や生活状況に応じて、労働時間の長さや配分の選択を請求できる権利についての規定が、労働協約や法律のなかに盛り込まれるようになっている。いわゆる「選択的労働時間制」への移行が進んでいる(注2)

 一方、現在の日本の労働時間制度には、労働者の意思を尊重する時間主権の考え方は存在しているだろうか。情けないことに、時間主権にはほど遠いのが現実である。政府が進めようとしている労働時間政策には、長時間労働を助長し、労働者の健康を損ないかねないような、働き方改革に逆行する動きもみられる。

 時間主権を検討するうえで前提となるのは、労働時間から出発し、その余った時間が個人の生活・家庭生活・社会生活の時間になるのではなく、労働者の生活全体に関する生活時間のなかで、どのように自律的に時間編成を行うかということである。そうすると、労働者にとって不可欠な家族生活・社会生活の時間を優先して保護することが必要となるし、働く時間だけでなく、働く場所についても選択できる制度が求められる。こうした考えは、むしろ「生活主権」という呼び名がふさわしい(注3)

 マイスター・ホラの言葉を借りれば、「時間をぬすまれないように守る」ために、労働組合は何をすべきか。いま一度、生活主権の視点から時間を調整する仕組みについて考えてみる意義は大きい。

1 ミヒャエル・エンデ著、大島かおり訳『モモ』岩波書店、2005年。https://www.iwanami.co.jp/book/b269602.html

2 ドイツの労働時間制度の詳細については、松井良和(2022)「最長労働時間規制及び時間外労働に対する補償のあり方について:時間清算の原則の実現に向けて」連合総研編『生活時間の確保(生活主権)を基軸とした労働時間法制改革の模索-今後の労働時間法制のあり方を考える調査研究委員会報告書』https://www.rengo-soken.or.jp/work/2022/03/290900.html、およびJILPT2025)「ドイツ労働時間制度の緩やかな転換:固定制から選択制へ」JILPTホームページ『海外労働情報』https://www.jil.go.jp/foreign/labor_system/2025/09/germany.htmlを参照。

3 「生活主権」については、連合総研編(2022)前掲報告書を参照。

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