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理事長コラム
『信ずること、の意味』
神津 里季生

「特例貸付の状況をどう受けとめるのか」

File.22023年1月16日発行

私たちがコロナ禍の嵐に遭遇してから、もうまる三年近くとなります。足もとで、政府は感染症法上の扱いを季節性インフルエンザと同様の5類に変更すべく模索しているやに伝えられていますが、感染の波自体はいまだ大きく、死者の累増の状況も伝えられています。一方では、生活を取り戻すためには経済を浮揚させなければならないということで、なんとなく「ゆるんだ」感じが世の中に拡がっていますが、公の場においては、まだそうはいかないというダブルスタンダードの混在のなかで、心の底からのびのびとした日常を取り戻すには依然として至っていないというのが現実です。
そんななか、いわゆる「コロナの特例貸付」、生活福祉資金特例貸付の返済がこの1月から開始されています。

まずは評価すべき。これがあって、とりあえず良かったと

この特例貸付、トータルで1兆4269億円(速報ベース)の利用があったということですから、一人当たり最大200万円の貸し付け額から類推して、ざっと100~200万人規模の方々がこの制度を利用し、窮地を乗り越えるための一助にすることができたわけです。したがってこの施策が講じられたことの意味は決して小さくないと思います。窓口を務められた社会福祉協議会(社協)をはじめ、関わった方々の獅子奮迅のご努力に心より敬意を表したいと思います。

返済開始が始まったことで、報道でも様々な状況が取り上げられつつあります。例によって問題点をあげつらう記事ばかりが目立ちますが、まずはこの制度があって、急場をしのぐことができたこと自体は明確に評価されるべきと思います。

制度の何が問題なのか

そのうえで、もちろん、問題点があればそれらをあげつらうことは必要です。ただしそこには、その批判を、将来にどうつなげていくかという視点が不可欠です。

共通してあった問題指摘は、社協における人員不足です。おしなべて相当に厳しい状況であったことは間違いないと思います。返済が始まっていることで、今また、あらためて繁忙感が増しているのではないかと危惧をします。報道では埼玉や徳島の社協で広く応援を得られた事例なども紹介されています。好事例が横展開されるなどして、各地域ごとに十分な対処が図られることが肝要です。

一方で近視眼的な批判は百害あって一利なしです。返済免除の申請が3割を超えている現状をとらえて、「審査が不十分であった」とする論調はその典型ではないかと思います。

当時は、膨大な数の人々の流れる血を止めなければならない緊急事態のなかで、どの程度の出血ならば包帯を使わせるか、などという審査に時間をかけるのではなく、とにかく包帯の供給に万全を尽くすべきだったわけです。

信ずること、の意味が見失われ、自己責任論が幅をきかせたままのわが国では、こんな近視眼的論議が当然視されてしまうのでしょうか?

ぶつ切り、その場しのぎの悪いクセ

最も問題なことは、コロナ禍が出口に来ているように思われる昨今の状況においてなお、3割を超える方々が返済免除を申請せざるを得ないという、その現実があぶりだされているということなのではないでしょうか?

そしてそれは、この制度自体の不備などという性格のものではなく、そもそものわが国社会の持っている根本的な矛盾に根差している事柄だということこそがクローズアップされるべきです。

コロナ禍は、わが国の経済・社会が陥っている脆弱性を一挙に露呈させました。格差拡大、貧困の連鎖、雇用形態の分断、不安定雇用の増大、人材のミスマッチ、職業教育の硬直性、再就労支援の制度未熟......。これらの問題をトータルで、パッケージで解決に向かわせる処方箋こそ求められているのです。 特例貸付にまつわる問題をそれ単独で云々することは、社会改革の大きなヒントを見失うことと同義です。それは日本の政策推進のぶつ切り・その場しのぎの悪いクセの反映でもあります。

この大きな課題の克服なしには、リスキリングも賃上げも単なる言葉遊びに終わってしまいます。

連合総研 理事長 神津里季生

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