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理事長コラム
『信ずること、の意味』
神津 里季生

合意形成と「社会対話」

File.42023年4月17日発行

合意形成と「社会対話」

ドイツの判断

報道各社が取り上げているように、ドイツはこの4月15日をもって、ついに全ての原子力発電所の稼働を終了させました。この判断には賛否両論があるでしょう。ドイツ国内ですらエネルギー価格の高騰を背景とした慎重論が依然多数を占めているようです。まして諸外国からすれば、お手並み拝見という突き放した見方もあるでしょう。わが国においても、隣国フランスの原子力由来の電力をあてにできる立場のドイツと我々とは同列では論ぜられない云々の見方は少なからずあろうかと思います。

実際のところ、エネルギーの問題は、安全確保の観点はもとより、カーボンニュートラル、安全保障といった大問題との関りを含め、数多くのファクターを考慮しなければならず、これこそが正解という選択はどこの国の誰も持ち合わせていないといっても過言ではないと思います。

合意形成があるからこそ

私は、今回のドイツの判断で我々が目を見開くべきは、この判断に至る合意形成の過程にこそあると思っています。

ドイツでは、ここに至るまで、その節目においては必ず産業界を含めた利害関係者の代表が集まり、徹夜もいとわぬ侃々諤々の議論の末に政策合意を図ります。いわゆる社会対話がそこにはあるのです。わが国のメディアにはもっとそこのところを取り上げてもらいたいと思うのです。

東日本大震災における福島第一原子力発電所の事故は、いわゆる原発推進派と原発反対派との、不毛にして不幸な対立の図式が背景にあったことを忘れてはならないと思います。お互いがお互いを相容れない存在として決めつけたまま、「合意形成を図る」という責任ある営みは事実上放棄されたままであったのではないでしょうか。あの事故の直前に、有識者会議において津波の対策が議論の俎上にあがりながら、そんな津波は来ないであろうということで蓋をされてしまったという経緯が象徴的です。大事な議論を避けて通っているのです。

お互いを「信ずること」が視野にないまま、言いっ放しを繰り返すだけでは合意形成は成り立ちません。

未だにその悪弊は続いたままではないでしょうか。わが国のエネルギー政策には真の「合意形成」が欠如したままなのではないでしょうか?

「社会対話」の意義

ドイツは、ナチスドイツの専横を許してしまった深い反省から、様々な形で合意形成を重んずる仕組みを有しています。連立政権という枠組みを、綿密な対話のもとに成立させ得るのもその一環といえましょう。同じ敗戦国であっても、わが国にはそのような習わしが欠けているように思えてなりません。官邸主導というのかわかりませんが、乱立傾向の有識者会議で事実上の政策決定がなされる反面、国会軽視の風潮は度を増す一方です。

嘆いてばかりではなりません。そんななかでも、ここにきて、政労使対話という枠組みが復活の兆しをみせていることは一筋の光明としてとらえたいと思います。本格的な社会対話=social dialogueが根付いていくことを切望してやみません。

先進諸国では当たり前の「社会対話」という概念が、広く世間に浸透していくことが、わが国の持続性を確保させていくための第一歩ではないでしょうか。

連合総研 理事長 神津里季生

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