これを「政策」と呼べるのだろうか
File.82023年10月25日発行
「馬鹿にするな」という憤りの声も
政府・与党において時限的な「減税」が検討されているとの報道を目にする。私の親しい友人はこの話に対し「人を馬鹿にするのもいいかげんにしてほしい」と憤っていた。
私も同年代の彼の気持ちはよくわかる。そもそも時限的な措置は「減税」の名に値しないだろう。要するに、たまたま予期せぬお金が入ったから分けてあげるよ、という話だ。恩着せがましい匂いがプンプンする。選挙目当てで金をばらまくという発想であり政府・責任政党の劣化の象徴だ、という声も少なくない。
もちろん目の前の物価上昇モードははなはだ厄介であり、お金がもらえるならばそれに越したことはないと誰しも思う。しかし、この物価上昇はいつまで続くものかはわからない。物価上昇が続いている間はこのお金はずっともらい続けることができるのだろうか?
政府・日銀は2%程度の適度な物価上昇は好ましいものだと言い続けてきている。賃金上昇と個人消費増がもたらす経済好循環の一つの要素として肯定的にとらえられているわけだ。しかし足もとはそのような、期待されるレベルの物価上昇とは違って人々の生活を苦しめている。賃金上昇もまだ進行形であり、一部に偏ったままだ。
そういうなかでの時限的な「減税」とは、なんなのだろう?物価や賃金をはじめとする様々な経済指標との関係でどういう根拠や前提を持つのだろうか?さっぱりわからないし、たぶんそんなことは考えられていないのだろう。
私も友人も、いまから生まれてくる子供たちのクレジットカードでぜいたくな買い物をしていると揶揄され、忸怩たる思いを持つ世代である。こういう刹那的なバラマキを喜ぶと思われていること自体に腹が立つのである。
信ずることにつながる政策を求める
こんな措置は「政策」と呼ぶに値しないものだ。その場しのぎのパッチあてであり、この種の愚策の繰り返しでわが国は、首が回らなくなっているのではないのか?
そもそも低所得者対策は、恒久的な視点をもって「税制」そのものをどう改革していくのかという手法がとられなければ、人々が信ずる対象となりえない。人々が将来に展望を持ち、消費意欲を高めることには到底つながらない。
連合は消費税の逆進性対策として「給付付き税額控除」の創設を主張し続けてきている。わかりやすくいえば消費税還付制度だ。低所得者は所得税は納められなくても、一方で消費税は食料品等一部を除いていやがおうにも納めざるを得ない仕組みとなっている。物価上昇のあおりもそのまま受けてしまう。いわば、その分を払い戻すという仕組みだ。
こういった合理的な仕組みを設計し、導入の目途を決め、制度導入に至るまでのステップをシミュレートし、移行措置に必要な財源に今回の予期せぬ税収増を使うというのであれば、はるかに建設的で、信ずることのできる「政策」となるのではないか。
持って行き場のない憤り
巷間伝えられるのは、今回の策は、選挙民の目をひくためのものであり、年内解散あり得べしという説である。
私の友人のような憤りを持つ人はそんなにいないのだろうか?しかし実際に投票所に足を運ぶ世代はだいたいこのあたりの、今から生まれてくる子供たちのクレジットカードを使いまくっている世代が中心であるし、その人たちの良心はこのような愚策を容認しないと思うのだがどうだろうか?
ちょっと待てよ、考えてみると野党もかつて消費税減税を掲げて選挙を闘ったり、今もそれをちらつかせているところもあるようだ。
友人の憤りは、持って行き場のないまま雲散霧消してしまうのだろうか。
連合総研 理事長 神津里季生