こうなったのは誰のせい?
File.92024年2月14日発行
元から断たねばならない
政治とカネの問題が世を覆っている。
またか、みたいな話だ。
率直に言って有権者はこの種のスキャンダルにウンザリだ。
こういう話が出るたびに肝腎の政策論議がうっちゃられ後回しになることにも辟易している。
そしてスキャンダル追及もほどほどにしろとか、揚げ足取りだけだとか、野党は揶揄されがちだ。
私自身そのように感じたこともある。
しかし今回ばかりはそんな話で済まされない。
今明るみになっている事柄や、表にさらされようとしている問題は、そんな次元の話ではない。
これまで中途半端な対処しかしていないから不祥事がなくならず、そのたびに政策論議が妨害されてきたのだ。
この際、元から断たねば、永久にこのようなことの繰り返しが続いていく。
こうなったのは誰のせいだ?
こうなったのは誰のせいだ?
こんな政治にしたのは誰だ?
私たちだ。
民主主義国家である以上、政治の姿は有権者の資質を反映したものと認めざるを得ない。
民意で決められたルールのもとで選出された政治家は有権者の意識を代表したものであると言わずしてなんとしよう。
あえて世に問いたい。
私たち日本人には、理想を追求する気概が欠けてしまっているのではないか?あるべき姿を追求し、そこに向かっていこうとする姿勢が消えてしまっているのではないか?とりあえず目の前をとりつくろえばいいと思っているのではないか? 政治とカネの不祥事と、政策論議の低迷は、通底していると思われる。
どちらも、パッチあての繰り返しであり、その場しのぎを重ねてきたことで、本来の姿がみえなくなっている。
雨漏り補修の繰り返しではもう無理だ。新しい家をつくらなければならない。その設計図と行程表を明確にしなければならない。
政治家に何を求めていくか
政治家にはあるべき姿を追求し、実現してもらいたい。
政治とカネの問題についてあるべき姿を提示し、国民に信を問うてもらいたい。
与野党で一致して実現させるべきだが、到達しなければ選挙で決着をつけるしかない。
いずれにしても野党は、ここに至るまでの自民党の責任を厳しく追及する役割を自覚すべきだ。
ここまでの自民党一強政治の専横を許し、政治とカネの緩み切った構造をつくり出したのは、野党がその役割を果たさずにきたからだ。
同じ選挙区に候補を乱立させ、自民党に漁夫の利を与え続けてきたからだ。
難しい話にするな
選挙を前にすると野党間の政策調整などの話が取りざたされる。
そして野党間のあつれきが表ざたになる。
話はたいていまとまらない。
そういうことの繰り返しはやめてほしい。
どうあっても今回は難しい話にすべきではない。
今度の総選挙は、政治とカネの問題を徹底的にただし、あるべき姿を実現していく、そのことに唯一最大の価値を置くべきだ。これこそ多くの有権者が求めていることだ。
政権の枠組みは選挙結果が確定してから決めていけばいい。世界を見わたせば、何か月もかけて連立の姿を決めていく国はいくらでもある。
もちろん各政党は全ての政策項目にわたって選挙公約を明確にしなければならない。当たり前のことだ。単独で政権を実現できたら粛々と実行に移していけば良い。
選挙結果で過半数の議席がとれなければ、理念と方向性の近い他党に、許容できる範囲で呼び掛けて政策調整を進め連立協議をしていく。当たり前のことだ。
当たり前のことをやってもらいたい。難しい話でブレーキをかけることは許されない。
政治を信ずることができなければ明日はない
誤解を恐れずに言うならば、私は信頼できる優秀な自民党の政治家を数多く知っている。他方で野党の政治家には随分と裏切られてきた。(もちろんその逆のケースもある) しかし今必要なことは個々の政治家の資質を取り上げて云々かんぬんすることではない。それを言い出したら何も進まない。
要は、「政治」総体を信ずることができるか否かの崖っぷちに私たちは位置しているということだ。
本来、連合総研理事長は政治マターについて直截的に言及すべきではないのかもしれない。
しかし、あえて訴えたい。現下の貧弱な政治状況のままでは、連合総研の成果も活かされない。
これまで学識の皆さんに真摯な研究を重ねていただき、アウトプットにつなげていただいた数々の成果は、皆、珠玉のような出来栄えだ。しかしその珠玉が今のままでは活かされないのだ。 政治を、信ずることのできる状況に持って行かなければ、あらゆる政策論議は徒労に終わってしまう。
政治を信ずることができなければ明日はない。
連合総研 理事長 神津里季生