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理事長コラム
『信ずること、の意味』
神津 里季生

「冷や水」と「煮え湯」と

File.102024年3月18日発行

やればできるじゃないか

連合の春季生活闘争第一次集計の数値5.28%が反響を呼んでいる。
「やればできるじゃないか。」
「なぜ今までやらなかったんだ。」
テレビでもおなじみの第一生命経済研究所の熊野英生さんのコメントだ。あるニュース番組で経営者に向けて発せられたこの言葉を聞き、まさに我が意を得たり、強く同感した。
もちろんこの数値そのものはインパクト大であり、やっと経済の好循環が回りはじめる可能性が出てきたこと自体は前向きに受けとめなければならない。しかしそれにしても、ようやく経営側がまともに反応したかという感慨は持たざるを得ない。連合がずいぶん前から言い続けてきたことにやっとこさ応えたということだ。
しかし経営側が長年サボり続けてきたことで世の中はおおいに疲弊した。
単にベースアップを怠ったというだけのことではないのだ。いわゆる非正規雇用の形態を倍増させ、そして労働組合のない中小企業の大半において定昇なしの実質賃下げを横行させてきた。これらが相まって全体の賃金水準を低下させ続けてきた。そして格差を拡大させ続けてきたのである。

それでもこれらの反省の上に立って今回があるというのならば、広い心を持って今後を期待したいところであるが、正直なところ不安だらけだ。第一、少しあたふたとしすぎてはいないか?いくら物価上昇の波が大きかったとはいえ、あそこまで鈍かった人たちの所作とは思われない足もとの騒ぎである。

問題は持続性だ。少し気が早いが来年以降にその本質が見定められよう。

あたふたの象徴?...満額越え

今回、労働組合の要求以上の回答をするという「満額越え」が散見されたが、まさに今回の「あたふた」を象徴するものと思わざるを得ない。
「満額」と「満額越え」は全く異質のものである。
労使関係のコミュニケーションを重視する経営者であれば、普通は「満額越え」などという所作はあり得ない。
世の中には賃金の数字ばかりが目立っているのでそういう認識はあまり持たれていないが、元来、労働組合の要求とは、実に様々なメニューにわたって組み立てられているものなのである。労働時間や諸手当はもちろん、職場の隅々から湧き出てくる各種各様のリクエストに対しどのように財源を振り向けていくべきか、子細な議論を重ねたうえに練り上げられているものなのである。
さらに重要なこととして、同じ関連・グループ企業の労働条件にもしっかりと目配りをせよという問題である。そのあたりの労組からの要請は、年々歳々、力の込め方を高めてきている。連合流の表現で言うならば、「サプライチェーン全体で生み出した付加価値の適正分配」という観点だ。
一連の「満額越え」の姿勢は自企業の賃金だけの問題に閉じていないか?はたして、これらの様々な要求・要請全般に対しても「満額越え」の精神が発揮されているのだろうか?うわべだけの大判振る舞いだけでは労使関係のパートナーを馬鹿にしたひとりよがりの所作と言われても仕方がなかろう。
今回の内容が充実した労使コミュニケーションの結果であるならば私の杞憂ということだろう。採用力をアップさせるということだけの見栄えだけが動機ではないことを望みたい。札束をちらつかせることで成り立つような「採用力」ほど底の浅いものはないのだから。

「冷や水」と「煮え湯」と

今回満額越えの回答を受けた労働組合がどのような心象にあるかはわからないが、私がその立場であれば「煮え湯」と感じたことであろう。ただしこれはあくまでも想像でしかない。なぜならば私が労働組合(交渉当事者としてのいわゆる単組)にいた当時には、高額回答を得たという記憶はあまりなくて、要求とのギャップに落胆したことの方が多かったのだから。
最もつらかったときは「こんな回答では職場に説明がつかない」と思いつめたものである。今だから言えるが、自分はこのまま、のうのうと生きながらえていていいのかと自問自答しつつ、さ迷い歩いた日のことを忘れることはない。
「冷や水」を浴びてもなお労使関係は永続する。
もしも一年こっきりの、その場だけの関係であればストライキ等の実力行使を選択したであろう。しかし労使関係の神髄は、その永続性である。その場だけの気まぐれは許されない。相手の立場を思いやりつつも真剣勝負・緊張関係を維持・継続することでお互いの信頼関係はさらに強固なものとなる。
「今は我慢するとしても、これからどうしていくのかのビジョンを出せ、そしてそこに到達したときには真に魅力ある労働条件を実現しろ...」

ときにはそのような声を投げつけながら、多くの山と谷を乗り越えてきたわけである。あえて言えば、冷や水を浴びたことで身をさらに引き締めることにもなったと思う。

一方で、「満額越え」は煮え湯である。

普通は煮え湯は危ないものだが、受ける方も高額要求で体が煮えたぎっていると、煮え湯を飲まされても、その危険性に気が付かないかもしれない。一種のゆでガエル状況で、いつの間にか死に体になってしまうとしたら大ごとである。
労働組合にとってはその生命線である職場との間の信頼関係維持という意味でも、相当の危機感を持っていかないと事態は深刻である。こんな回答では、一生懸命につくったはずの要求案が信頼されないのだ。
神津さんよ、あんたの考え方は古いよ。今どきの企業社会はそんなことは言ってられないんだよ。新しい世界に入っているんだよ。という声が聞こえてきそうだ。
もしかしたら労使関係も変節の時機なのかもわからない。労働組合側もこれまでの常識はかなぐり捨てて相手の想定外の所作を考えるべきなのかもしれない。
しかし私は思う。そんなことでは、一企業・一業種のみならず、やがては日本の経済・社会の退歩を招いていくことは必定であろう。お互いを信ずることの意味は、一労使関係のなかにおさまるべき性格のものではない。経済社会全体、すべての働く者への目配りがあってこそ信頼関係の価値があるのである。

経済音痴の経営者群

世の中が5.28%の賃金アップに目を奪われている一方で、もっと気にしておくべき数値がある。
4.42%だ。
今回の連合の第一次集計を中小企業に絞ってみるとアップ率は4.42%なのである。もちろん前年同期比でみれば0.97%も向上しているので、それだけをみれば慶賀すべきところだが、いかんせん、全体数値(5.28%)の対前年1.48%の向上にくらべると0.51%も遅れをとってしまっているのである。
つまり、格差拡大の傾向はさらに強くなってしまっているということだ。格差がおよそ0.5%も上乗せされてしまったということなのだ。
私たちが克服しなければならないことは何か?
長年の格差拡大・経済低迷のデフレスパイラルの闇のなかで、多くの人々が苦しんできた。
「経世済民」の「済民」が置き去りにされ続けてきたのだ。
この事態から大きく転換していくことこそが日本社会の最重点課題である。それなしに経済の好循環などあり得ない。
ここにきて、公正取引委員会が目覚ましい発信をしているのはご承知の通りだ。価格転嫁の指針を出し、そして問題行動に対しては企業名を次々と公表している。まさに事態改善が国是であることの証左だ。

しかしそれにしても情けない。そこまでされないとわが国の経営者は目覚めないのであろうか?経世済民に心をいたすことのない人たちを経済音痴と言わずしてなんとしょう。
中小企業の春闘はこれからが本番である。価格転嫁がしっかりとなされているか。大手企業にはグループ内や下請け・取引先の労働条件に対する責任がある。まして、満額を越えるような財源があるのならば知らんぷりは到底許されない。

連合総研 理事長 神津里季生

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