変わろうとも、変わるまいとも、変わってもらいたい
File.112024年6月26日発行
政局をつかめない野党
通常国会が閉幕した。
ここに至るまで、岸田総理は会期中の解散総選挙に打って出たかったはずと言われている。それがかなわぬ客観情勢に陥ってしまったということであろう。秋には自民党総裁選がある。早くても総選挙はそこをくぐってからということで、裏金問題で揺れに揺れている足もとの政治状況の一方で、民意が問われるタイミングはかなり先に延びたわけである。
のっけからの政局ネタであるが、実は私自身はもともと政局話はあまり好きではなかった。政治家には政局より政策で勝負してほしい...、もちろん今でもそう思わないわけではない。しかしこれまで、目の前で展開される政局のなかで「ここ」というチャンスをみすみす逃す様を何度も見せつけられてきた立場からすると、もういいかげんにしてほしい、という気持ちは重たく心に残っている。せっかくの素晴らしい政策も政局に巻き込まれて何度もつぶされているのだ。
政局をつかめない野党に比べて、与党自民党の権力への執着はすさまじいものがあるのは巷間伝えられている通りだ。「執着」などと表現すると、あこぎな所作としか聞こえないかもしれないが、しかし、執念を持って政権を取るという姿勢がないと所詮政治家という存在は成り立たない。
総選挙に向けた政局も、伝えられている与野党の(水面下を含めた)状況から推しはかると、結局は執念のレベル差がものをいうのではないか、そんな気がしてならない。そしてその結果、やはりいろいろ言っても変わらないね、ということで、若者の政治離れ、いや、もはや若者に限ったことではない、広い範囲の国民の政治離れに一層の拍車がかかっていくという危機感を禁じ得ない。
その場しのぎの繰り返しでは国がつぶれる
誤解をしてほしくないのだが、私は、短兵急に、政権交代だけを望んでこういうことを述べているわけではない。あえて言うならば、変わらなくてもいいのである。(ここは正確には「代わる」という字を使うべきであろうが面倒なので「変わる」のままで通す)変わらなくても変わってほしいのである。たとえ政権が変わらなくても、その場しのぎの政策の繰り返しでこの国の将来をおかしくするようなことから変わってほしいのである。
私たちにかかわりの深い雇用や生活保障に関わる事柄について、政府も様々な措置を講じてきてはいる。しかしその全てがその場しのぎと言っても過言ではない。いや個別の施策そのものには意味があるものもある。しかし、その多くはぶつ切りにつくられたものの羅列であるし、その裏付けとなるべき財源の根拠のあり方を含めていうならば、全てがその場しのぎと言っても過言ではない。
それらは、包摂性とか持続性とかそういう重要な理念に裏打ちされた大きな将来構想が基盤となっていない。小手先の技法は長けているので、雨漏り補修は立派にこなしてきているが、すでに家屋自体にガタが来ているのである。そのことをとっくに勘付いている国民からすれば、「将来を信ずることができない」、ということが今日の政治状況がつくった最も大きな罪ではなかろうか。信ずること、を取り戻せるか否かの瀬戸際にあるのだ。
変わろうとも、変わるまいとも、変わってもらいたい
総選挙に向けて、政局下手な野党の陥りそうなこととして、野党間の政策協議のごたごたが想定される。
勘違いしてはいけない。
大半の有権者は今回の総選挙を個別の政策で勝負してもらいたいなどとは思っていない。裏金問題という、政策本位の政治からすれば端っこに位置付けられかねない問題かもしれないが、あまりにもいい加減な運用がされてきたことに心底腹を立てているのである。これにメスが入らないのであれば政治家は皆辞めてもらいたいと思っているのである。端的に言うならばその一点で勝負してもらいたいのである。
政治とカネの問題は、いわゆる「政策」とは別次元のものだが、ことは、政治家が政治家たるの基本中の基本の事柄なのだ。信なくば立たずだ。
もちろんのこととして個別の政党は政権公約を出すであろうし出すべきである。そしてその公約は、その場しのぎの雨漏り補修の繰り返しだけで実はボロボロになっている日本国という家自体を建て替えるという公約が必須である。
しかし間違っても、どういうタイプの家をつくるのかとか、和室は何畳で洋間のタイプはどうするだとか、今からそんなことでゴタゴタしてもめるような姿をさらすことは愚の骨頂である。それぞれが自信を持って設計図を世に見せれば良い。そして何より、その基盤をなすコンセプトこそが重要だ。選挙が終わって連立が必要となれば、第一党のコンセプトのもとに、お互いとことん話し合って細部の設計をつくりなおせば良いのだ。欧州諸国では当たり前に行われていることだ。
9月には自民党の総裁選がある。野党においては立憲民主党の代表選が予定されている。
トップが変わろうとも変わるまいとも変わってもらいたい。その場しのぎの繰り返しから脱却してもらいたい。