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前理事長コラム
『時代を見つめる』
古賀 伸明

「決して風化させない」

File.152017年3月22日発行

東日本大震災から6年が経過した。

3月5日(日)、機会があって宮城県の仙台市若林区・荒浜地区と岩沼市を訪れた。被災地を訪問するのは2年ぶりとなる。

荒浜地区は仙台市中心から車で約30分。平野部としては世界最大級の約10mの津波にのみこまれた地区である。現在、約850メートルの防潮堤が築かれており、かつて住宅地だったこの地は、根こそぎ崩壊し今も津波の痛々しい爪痕として家屋の基礎(土台)が残っている。約750世帯が移転を余儀なくされたという。

ぽつんとひとつだけ残る建物が、海岸から約750mの荒浜小学校。4階建ての校舎 は、津波で2階まで浸水した。この小学校に震災当時は約260名が非難したとのこと。昨年2016年4月七郷小学校と統合したが、仙台市は震災遺構として保存することを決定した。荒浜地区を見守るように観音像が建立され、慰霊碑には荒浜地区と七郷地区で津波の犠牲になられた180名強の名前が刻まれている。改めて、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りした。

荒浜地区から仙台空港方向に向かい、空港をすぎて車で数分走ると岩沼市となる。岩沼市は、市内のほぼ半分が津波で浸水し、180人が命を落とした地区だ。震災の教訓を後世に伝えるため、天然の防波堤としての防災公園「千年希望が丘」が建設されつつある。私が見学したのは、第1号丘、そこから約300メートル先の第2号丘、そして第1号丘から約1.5㎞離れた第3号丘の三つの丘だったが、最終的には沿岸部約10kmに15基の丘をつくる予定とのことだ。犠牲者の名前が刻まれた記念碑や鐘なども設置されている。

丘には、震災で全半壊した家屋の梁(はり)を使用した階段と手すりが付いていた。 そして、丘と周辺の路や盛土は、震災廃棄物や被災した建物のコンクリートを破砕したものを使用しているとのことだ。2013年第1号丘の完成と同時に行った約4500人のボランティアによる約3万本の植樹を皮切りに、毎年植樹活動が続いており、2016年には約12000人が約10万本の植樹を行った。もちろん、これからも植樹活動を続けるという。

困難な状況のなかから、前を向いて多くの人たちが歩き始めている。しかし、新しい暮らしが始まっても、家族や知人・友人を失った痛みが癒えることはないだろう。あの震災を、私たちは決して風化させてはならない。年に何度かでも被災地のために何かできることはないかと思いをはせ、改めて私たちももう一歩踏み出していかなければならない。

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