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前理事長コラム
『時代を見つめる』
古賀 伸明

「コロナ禍での東京五輪・パラリンピック」

File.662021年6月21日発行

東京五輪・パラリンピック開催日まで約1カ月に迫ったが、開催の意義も、開催した場合のリスクも明確にされず、開幕が近づく。選択を誤れば、半世紀ぶりの東京五輪は大きな禍根を残すことになる。

開催主要都市・東京都は6月21日、「緊急事態宣言」の再々延長は回避されたが、「まん延防止等重点措置」が適用され、コロナ禍は厳しさが続いている。

このような情勢の中で、中止や延期を求める声は依然として多い。

かつての五輪は、「世紀の祭典」「平和の祭典」「スポーツの祭典」などの言葉が躍り、ワクワク感を感じていた。しかし、いつの頃からか肥大化や行き過ぎた商業主義など数々の課題が指摘されはじめ、多少距離を保つようになった。そして今日、賛成の人も反対の人も、多くの人がモヤモヤとした気分のまま時間が過ぎていく。

それは実のある議論のスタートとしての、開催か中止、双方のメリット・デメリットを具体的に明示されることがなく、幅広い論点で検討した姿が全く見えないからだ。

新型コロナウイルス禍の最中に、「なぜ東京五輪・パラリンピックを開催するのか?」という基本的な問いに、「安全・安心な大会の実現に全力を尽くす」と首相は何度となく繰り返すが、その具体的な対策と実効性をどう担保できるのかは示されない。また、「国民の命と健康が守らなければ、やらないのは当然」と語った一方で、開催の判断基準を示すように問われても「国民の命と健康が大前提。それを基準としたい」と述べるだけ。

首相は「国民の命と健康を守るのは私の責務で、このことより優先させることはない」とも言う。開催ならば、感染拡大リスクが高まることが避けられないのは、専門家の指摘を聞くまでもなく誰にでもわかることである。どの程度の医療体制と感染状況なら国民の命と健康が守れるのか、具体的基準は示さず、開催ありきの抽象論・精神論ばかりと言われても仕方がない。

もちろん、コロナ禍の中で想像を絶するようなトレーニングを積み重ねてきたアスリートたちの活躍は、人々を勇気づけ夢や希望を与える力をもっている。大半の選手にとっては、一生に一度出場できるかどうかのオリンピックだ。しかし、研鑽を重ねてきた世界中の選手たちも、心の底から応援してもらえない雰囲気の中で競技することは望んではいないだろう。 

残された期間は短いが、コロナ禍でなぜ開催するのか、安全をどのようにして守るのか、抽象的な願望ではなく具体的な方策・道筋の説明責任を果たしてもらわなければならない。

何より大切なのは人々の命と健康であり、国内外の共感がなければ、たとえ開催しても負の遺産となる可能性がある。

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