2025年10月20日

約3万9千人の組合員を擁するデンソー労働組合では、従来の組合活動の枠を超えた新たな試み「カワレルAction College(KAC)」を展開している。6コマ漫画による社会課題の発信、浜名湖のアマモ養殖ツアー、生理痛VR体験、避難所宿泊体験、田植え・稲刈りイベントなど、多彩なプログラムを通じて社会課題を「自分事」として捉える学びの場を提供する。「体験する・出会う・共創する」――この独創的な活動はどのようにして生まれたのか。立上げメンバーで学長を務める沖直人局長に、その背景と狙いを聞いた。
ビジョンから始まった「カワレルAction College」
――デンソー労働組合が取り組む社会貢献活動について教えてください。
- 沖
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当組合では様々な社会貢献活動を行っていますが、その中核となるのが「カワレルAction College(KAC)」です。組合ビジョンに基づいて設立した企業内大学で、組合員が「自ら考え生きる力」や「誰かのためを想像できる人間力」を育むことを目指しています。社内外の多様な人々と学び、体験し、共創する場を通じて、組合員一人ひとりが「輝く個」として成長できるよう後押ししています。
――取り組みの経緯を教えてください
- 沖
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出発点となったのは、2021年に策定したデンソー労働組合のビジョン・ミッション・バリューです。「自らの生きる、働くを、2m前に進められる組合員の集団に」をビジョンとして、「どのような環境でも自分の進む道を失わず、自ら決断し行動できる」「他者や社会からの恩恵に感謝し、貢献しようとする行動が生まれる」などをバリューとして示しています。この策定プロセスについては『DIO』10月号でお話ししているので、そちらをご覧いただければと思います。
このビジョン・ミッション・バリューがあったからこそ、KACのような新たな挑戦が可能となりました。2021の活動方針でも「幅広い社会課題へ対応し、明るい未来をつくっていく」「社会課題を自ら知り、未来のために自ら動き始める」と掲げ、そこから「変わりたいと思ったときが、変われるとき」という思いを込め、「カワレル」と名付けました。
――具体的にはどんな活動をですか。
- 沖
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ロードマップを描き、段階的に展開しています。
「カワレル1.0」は、2022年5月から始めた情報発信活動です。社会課題は重要とわかっていても、自分事化が難しい。そこで6コマ漫画による解説を配信し、労働組合のLINE登録者2~3万人にこれまで30回以上届けました。3年間で延べ約5万人がLINEをクリックし、さらに約1万2千人が公式サイト「DIALOGUE」を閲覧しています。2023年8月には小冊子「カワレルブック」を発行し、職場や家庭で社会課題を話題にするきっかけをつくりました。
「カワレル2.0」では、2024年5月に企業内大学「カワレルAction college」を開校しました。リベラルアーツ(幅広い教養)を学び人間力を醸成することを狙いとし、体験学習や有識者による講義を通じて、参加者が自ら考え行動するきっかけを提供しています。

体験を通じて社会課題を「自分事」に
――環境問題にも取り組まれていますね。
- 沖
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「浜名湖アマモ養殖イベント」では、アサリ不漁という課題に向き合いました。きっかけは、組織内議員と地域を歩いていた際、停泊所にたくさんの船が停泊しているのを見かけたことです。なぜこれほどまでにたくさん船が停泊しているのか組織内議員に尋ねたところ、「アサリが獲れなくなって、漁師さんが海に出られなくなっている」という漁師さんの苦労をうかがって、ここにも環境問題があることに気づかされました。
そこから議員にも協力してもらって、漁師や大学の先生をご紹介いただき、実際に現場を訪れ、アサリ不漁の背景を学びました。原因の一つは、地球温暖化による海水温や塩分濃度の上昇で、アサリを守る海藻"アマモ"が減少していることです。労働組合として、アマモ復活に向け、波で流されないよう紙粘土にアマモの種を入れて船から投げ入れる「アマモの種まき」体験を企画しました。温暖化による環境変化という大きな課題を、身近な体験として学べる貴重な機会となりました。

――他にはどのような活動がありますか
- 沖
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「生理痛VR体験を通じた想い合いセミナー」では、低周波デバイスをお腹に装着し、生理痛を疑似体験しました。参加者からは「理解していたつもりだったが、これほどつらいとは思わなかった」「こんな状態で仕事や家事をしているなら、もっとサポートしたい」といった声が多く寄せられました。刈谷本社以外の製作所からも開催希望があり、すでに3か所で実施しています。工場長や部長クラスも参加し、女性社員と意見交換を行うなど、活動の広がりを実感しています。
「避難所生活体験(1泊2日)」では、参加者全員で会議室に簡易避難所を設営し、懐中電灯の明かりだけで一夜を過ごしました。非常食のアルファ米でつくるカレーライスを食べたり、簡易トイレを自作して使用したりすることで、防災意識を高める機会となりました。この取り組みは参加者から好評で、会社側が同様のイベントを企画するきっかけにもなりました。

- 沖
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また、「田植えイベント」や「稲刈りイベント」を開催し、私たちが育てたお米のうち100kgを、西尾市社会福祉協議会を通じて「フードバンクにしお」へ寄贈しました。「フードバンクにしお」は、西尾市内の子ども食堂10か所に食糧支援を行うNPOです。田植えから稲刈りまで時間と労力をかけ、愛情を込めて育てたお米が子どもたちの力になることは、私たちにとって大きな喜びとなりました。

――活動の参加状況はいかがですか。
- 沖
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嬉しい誤算なのですが、毎回参加メンバーが変わります。リピーターももちろんいますが、「どこから来たの?」と驚くような遠方からの参加者もいます。避難所生活体験では、19歳の新入社員が三重県大安町から来てくれました。阪神大震災を知らない世代ですが、「身近に起こりうることだと思って、自分事として来ました」と話してくれ、感銘を受けました。
田植え・稲刈りイベントは、デンソー労働組合80名とデンソーエレクトロニクス労働組合40名の計120名枠で開催していますが、毎回満員御礼です。2025年5月に開催した田植えイベントでは、デンソー労働組合80名の枠に対し300名近くの応募があり、申込開始から3日程度で参加枠が全て埋まりました。多くの人がこういった体験を心待ちにしていることを実感しています。
現場の声を活動の起点に、エバンジェリストと共に育む
――「カワレルAction College」において特筆すべき点があれば教えてください。
- 沖
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KACの活動を未受講の方々に向けて熱をもって伝播していく「エバンジェリスト(伝道師)」の存在です。執行部のメンバーだけで企画すると、現場とのギャップが生まれて"滑る"んです。現場の方々の意見を取り入れることが何よりも重要です。毎週のようにエバンジェリストの方々が勤務する製作所に通い、課題や要望を把握するようにしています。ここにはデンソーの「現地現物」というDNAが活かされていると思います。
――会社との関係はいかがですか。
- 沖
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会社は2023年の社長交代を機に、「社会課題解決」と「人の幸せ・成長」を両輪として、すべてのステークホルダーに対して長期的に貢献する方針を掲げました。私たちの活動も人の成長・幸せにつながるため、会社にとって価値ある取り組みであると説明できるようになりました。実際、人事担当役員から「KACの取り組みをさらに広げたい。新入社員教育に活用したい」といった提案も寄せられています。組合と会社の目指す方向性が重なり合ってきたことが、活動の追い風となっています。
――活動が新聞やメディアに取り上げられていますね。
- 沖
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当初から新聞やメディアに取り上げていただけるよう戦略的に取り組んできました。狙いは2つあります。一つは、仲間を増やすこと。活動を知っていただければ、外部の方から「一緒にやりましょう」と声をかけてもらえるかもしれません。もう一つは、組合員のエンゲージメントを高めることです。「自分達の取り組みは社会にとって意義がある」と実感してもらうことが、次の担い手を育てる力につながると考えています。
スタートアップの知見と手法を徹底投入
――「カワレル」立ち上げの過程で、苦労したことはありましたか。
- 沖
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私はソーシャル・イントラプレナーとして貢献したいという思いが強く、スタートアップで培った経験を活かして「カワレル」を企画しました。マーケティングやターゲティング、ブランディング、人脈など、スタートアップで得た知識やノウハウをふんだんに使っています。
KACの取り組みは、当初は否定されましたが、ビジョンと委員長の決断が大きな転機になりました。委員長から、最終的には「今は理解できなくても、1年後には理解できるかもしれない。その可能性があるならやってみろ」と背中を押していただきました。その後も三役や執行委員、職場役員との議論で「100本ノック」と称して仮説を示し、指摘を受けるたびに改良を重ねました。愚直な積み重ねの結果、次第に理解と共感を得ることができました。少し型破りな私を受け入れてくれる、この懐の深い組織風土に心から感謝しています。
――組合内部の合意形成は関門のひとつですよね。沖さんを突き動かしたものは何ですか。
- 沖
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スタートアップの経営を通じてもう1つ気づいたことがありました。ユニコーンと呼ばれるようなスタートアップは、我々に新たなサービスや価値を提供してくれます。しかし、事業を成長させる過程で、モラルが欠如した事業運営やサービスを悪用する利用者もいて、人々のマインドが追いついていかないことを目の当たりにしました。事業やサービスを生み出すだけでなく、人々のマインドをアップデートしていくこともとても重要です。
歴史を振り返れば、明治維新が起きた時、社会の仕組みが変わるのと同時に、人々の価値観や行動様式も変わりました。とくに自動車産業は今、環境変化の真只中にいます。だから、「成人発達」と言われるような、人々の可能性を伸ばすことに、これ以上ないほど価値があります。デンソー労働組合には約3万9千人もの組合員がいるので、彼らの価値観や行動をアップデートすることにフルコミットしたいと思って取り組んできました。
――社会貢献活動を軽やかに見せつつ、一方で、啓発的な色もあるのが、KACの特徴です。
- 沖
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まさにそういう意図をもってやっています。KACのコンテンツを教育というのはおこがましいし、教育っぽく見せたくないと思っています。でも、自分たちが学び、考え、行動できるようになっていきたい。そのために、社会課題への取り組みをコミカルに広告にしている企業の取り組みなどを参考にしています。
組合員一人ひとりが社会課題解決に向けて自ら動く
――今後の課題と展開について教えてください。
- 沖
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これまでの「カワレル」は、与えられた社会課題に応えるリアクティブ(受動的)な活動が中心でした。これからは、自ら課題を見出し行動するプロアクティブ(能動的)な姿勢へ転換する段階と考えています。具体的には、「誰かのために何かをしたい」組合員と「手伝って欲しい」方々をつなぐマッチング・プラットフォームに進化させていく予定です。
実際、アマモ養殖イベントでは、参加者が「アマモの種を取る作業が大変」と知り、「私たちが手伝いたい」と申し出てくれました。こうした自発的な行動は、プラットフォームを通じて広がる可能性があり、次世代の社会貢献の姿だと感じています。
リアクティブからプロアクティブへ――。組合員一人ひとりの行動変容を促し、社会課題解決に自ら動ける人材を育てていく。それが私たちの目指す新しい労働組合の形です。
取材日 2025年8月6日
※組織名や役職は取材時点のものです。
聞き手 中村天江、堀江則子
執 筆 堀江則子
